「全一学とは何か」

 

7月3日(水)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学とは何か」を紹介しています。本日は「飯菜交互別食法」なら量は八分目で、咀嚼は完全で理想的な食事法と述べています。

 

・性の問題は、その根底が個体的生命を越える種族的使命に根ざしている故深刻なわけであるが、それと対比するのは「食」の問題である。しかもこの「食」の問題たるや、畢竟じてこれ個体的生命を維持する根基だからである。

 

有限な個体的生は、外界より適宜食物を採り、そこから必要な養分を摂取して残余は排泄するが、このような食物の循環交替の間にも陰陽の理は厳として行われているといってよい。

 

・食については、何よりも先ず風土の自然に即した物が好ましく、それは人間の身体的構造そのものが、いちじるしく風土の影響を受けるが故である。肉食を主とする西洋人の腸と比べて、われらの菜食種の腸は長いといわれるのはその故であって、近時「玄米自然食」の声が高まりつつあるのは、戦後米国の影響をうけて日本人の食物が肉食に傾いた反作用といってよい。

 

・食物も思想と似て摂取の多からんより、むしろ咀嚼(そしゃく)の理想は「飯菜交互別食法」に勝るものはない。けだし人間の“のど”は飯菜いずれか一方のみなれば、“のど”を通ればそれで咀嚼は充分とする。けだし人間の生理は本来護られているが故である。同時にこの咀嚼法によれば、量は八分目でありながら、舌は満足し、その上咀嚼は完全なるがゆえ、理想的な食事法というべきである。

 

・癌は一言にして文明悪の総合病といってよい。したがってこれが予防法としては、まず玄米自然食を基盤とし、それでも尚患ったら天命と諦める他あるまい。

 

・古来東洋の学者は、それぞれ医学的知識の初歩を心得ていたのである。貝原益軒はもとより、中江藤樹、三浦梅園、広瀬淡窓などいずれもそうであるが、その故はこれらの学者の学問は、元来その本質において「全一学」だったが故である。けだし「全一学」は全一的生命の一分身である自己の“いのち”の自証の学であって、“いのち”の動的統一に学の体解身証があるとしたが故である。