「全一学とは何か」

 

6月18日(火)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学とは何か」をほぼ原文のまま紹介しています。本日は「時間を離れて空間はなく、空間を離れた時間もありえない」と説いています。

 

・このように人間存在の基体自身が、空間裡において一定の空間を占拠し、しかもその位置が自由に可変的だということは、他面、必然にそれが時間的存在たることを意味し、かつ予想するといってよい。ここに時間的というは、それ自身が時間裡にあると共に、さらに裡に時間を包有しているとの謂いでもある。

 

・このうち身体が時間裡の存在だということは何人も知る処であるが、では内に時間を含むとは如何なる謂いであろうか。それは一面からは、時間的推移の可能的受容性を内具していると同時に、全身心的行動を可能としているとの謂いに他ならない。

 

・人間存在は、畢竟じてそれ自体が、徹頭徹尾、時空的存在だということであり、否、それ自身時・空の会点にあるといってよい。しかもその会点たるや本質的には動的会点といわねばなるまい。すなわちたとえ静止していても、時間の推移を避け難いのみか、一瞬にして全身的行動を起こして、この地上に極微なる位相の変化を将来せしめ得るが故である。

 

・我々の行動と称するものは、その一挙手一投足に到るまで、その一々がすべてこれ刻々時々新たなる時・空の会点の創造であり、否、その広大無辺なる全宇宙を拠点とし背景としつつ、極微なる自己の足跡を刻むの謂いに他ならぬ。

 

・世上には時間と空間を別って時間論・空間論の考察もあるが、それは単に考察の便宜に出ずるもので、一瞬時といえども時間を離れて空間の存在はあり得ない。同様にまた、空間を離れた時間もありえないのである。

 

・もし空間を離れて時間があり得るとすれば、それは無意識裡における「内的時間」に他なるまいが、かかる内的時間さえ現実にはこれを支えている身体の存在が看過されてはなるまい。同時に人間の身体は、たとえそれが静止的に起立し、ないしは静坐していようとも、それ自身時・空裡の存在であるばかりか、身体自身の内部においても、整然たる生理の構造(空間)とその作用(時間)は行われているわけである。