「21世紀型専門店」から⑤

 

6月15日(土)暑中見舞いの日。

 

拙著「21世紀型専門店」(1998年9月発刊)のプロローグー「ひとりごと」の紹介です。ライフスタイル変化できもの需要が大きく減少し、廃業、蹉跌が多発していく激動の1994年から5年間、いかに未知なる21世紀へ対応していくかの問題意識と対応策です。

 

本日は時代と社会の急激な変化の中で、なぜ「地域になくてはならない店」を創造していかなければならないか、そのための「必要条件」と「十分条件」を説明しています。

 

・転換期の「まさか現象」続出!

 

今や社会の流れは供給者から生活者中心の時代へと完全に変わってきた。しかし、成長時代にしみついた成功体験は経営者の変革を拒み続けている。誇りある商人が自らの使命に目醒め、はたらきの本質に気づかなければ、21世紀を迎えることができない状況が迫っている。

 

そうした時代の流れ、成熟社会への大転換のなかで1993年の夏、森信三先生の強烈な波動を受け、「地域になくてはならない店」を書かせていただいた。その問題意識は、まさしくバブル崩壊の後遺症に喘ぎ、混迷を深める中小専門店へ新しい指針を提示することであった。

 

1993年は成長要因であるインフレがデフレ基調へと転換していく年であった。右肩上がりに上昇してきた土地神話が崩壊し、株式、売上高、物価も逆流を始めた。今までの社会常識が通用しなくなり、経済は停滞を深めていったのである。

 

したがって「1994年はもとより、今世紀中にデフレ基調が変化することはありえない。成熟とは量から質、モノから心、見えるものから見えないものへの波動が強くなる。・・・これからの5年間は『まさか』の混乱を覚悟しておかねばならない」(会報「ウエーブ」1994年1月号)と伝えたのである。

 

こうした不透明で混乱を深める成熟社会で繁栄を続ける店の在り方は、地域社会のニーズに応える「なくてはならない店」だということを確信したのである。

 

・「地域になくてはならない店」

 

「地域になくてはならない店」は、そうした基本認識から専門店の永続的繁栄をその必要条件と十分条件から提示したのである。必要条件の第一は、商人が夢を持ち、「感謝の心で奉仕」する商人へ回帰することである。第二は客と一体化する手順。

 

第三は新しい商人の実践行「あすこそは」の実践である。「あすこそは」は、あいさつ、スマイル(笑顔)、こしぼね(立腰)、そろえる(掃除)、ハガキの頭文字の綴りで、弊社が創業25周年を迎えた(1990年)、森信三門下、寺田一清先生が心を込めて提唱された凡事の徹底である。

 

十分条件の第一は、売る側の論理、業種、業態から「生活態」(客の利益を優先する)への転換についてである。第三はライフスタイル変化へ対応する四つの生活態モデルの紹介である。1993年以降もわが国の政治、経済、社会は混迷の度合いを深め、一部には金融恐慌の危険性が囁かれる有様であった。

 

「1ドル100円を想定した場合、わが国の経済は金融恐慌に突入するとの予測がある。恐慌になれば倒産企業は70万〜100万社、失業者は1500万人に及ぶ。バブル崩壊の余波は最悪の状況を産み出す危険性がある」(会報「ジュエリー21」1993年11月号)

 

・新しい時代が始まった!

 

ちなみに昭和2年(1927年)わが国を襲った金融恐慌から60年の歳月が経過しようとしていた。景気循環の長期波動としての「コンドラチェフの波」(60年周期)に合致していたのである。昭和恐慌はわずか二ヶ月で32行の金融機関が倒産に追い込まれたという。

 

まさに何が起こるか、どうあるのか予断を許さない経営環境が続いていた。たしかなことは、一つの時代が終わりを告げ、新しい時代が始まろうとしている予感であった。この間に印象深かったのが作家の司馬遼太郎が亡くなる直前、田中直毅氏との対談(週刊朝日1996年3月1日号)で語っていた感慨である。「日本は再び敗戦を迎えたのではないか」と。

 

なぜ司馬が指摘するように、わが国は経済の敗戦を迎えたのであろうか。こうした疑問に対して、稲盛和夫(京セラ会長)の次の言葉が実に示唆に富んでいるように思えた。「日本人は貧相な精神構造に陥り、儲かるかどうかの利己心に囚われ、世のため人のためという利他の精神に欠けている」(「哲学への回帰」PHP)。

 

「地域になくてはならない店」も根本的には稲盛氏の言われる利他の精神と同質かと思う。「戦略を捨てて生活態へ」のサブタイトルにはそうした願いを込めていた。