「全一学とは何か」

 

6月6日(木)おけいこの日。いけばなの日。

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学とは何か」をほぼ原文のまま紹介しています。本日は「易」の哲理は一般人にとって、西洋哲学と比べて遥かに重大な意義があると述べています。

 

・だが古来「易」理が貴ばれ、易理の秘奥の至深の旨が言い伝えられてきたのは、これを大にしては天地の運行から、人類の治乱興亡、さらにこれを至近には個身の盛衰栄辱など、いやしくもこの天地間に行われる一切の事象についてこれを「易」理に照らして、その然るゆえんを明弁しうるに至って真に「易」を学べる者と考えたが故であろう。

 

・かくしてこの全一学は、専門家として学問によって衣食を支えられている人々を、その直接的対象とはせず、世上それぞれの職域にありながら、自らの職分の意義、位相を大観し、またこれを大にしては世界人類の運命から、

 

引いては、自らの属するこの日本国家の前途などをも考え、さらに近くはわが身上にふり懸かる吉凶栄辱などについても、その意義を重視し、少なくとも取り乱さないために必要な程度の叡知を身につけんが為に、多少の示唆ともなれかしと考えるわけである。

 

かような立場に立って考える時、如上「易」の哲理の内包しているものは、西洋哲学と比べて、普通一般の人にとっては、遥かに重大な意義があるかに考えられるのである。

 

・絶対的全一学に対する把握は、古来それそれの哲学者によって異なり、それぞれの哲学者の哲学体系として、その特色を顕わしていることは言うを要しない。したがって古今の哲学者の体系は絶対的全一的なる大宇宙生命のそれぞれの面の表現といえる。

 

・かくしてそれらに関する普通の類別的な分類の程度であれば、いわゆる「哲学概論」と称せられるものの中にその一応の概説がないわけではない。しかしながら、それらの概説書においては、それらの学説は元来唯一絶対なる全一的生命に対するそれぞれの観点からの考察に過ぎず、

 

したがって真の絶対全一的生命は、それらのあらゆる一面的体系を、全一的に包括する真の全一的生命でなければならないはずであるが、この点が看過されがちといってよい。