「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

3月12日(火)東大寺二月堂お水取り。

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)を抜粋して紹介します。本日は先生の教養小説「隠者の幻」の主人公のモデルは、明治以降最深の隠者というべき新井奥邃と西晋一郎先生の重ね写真と述べています。

 

ところが全国的な遊歴をして、漁師や農民などあらゆる職種と階層の人々の声に耳を傾けてみたけれども、結局自分というものが、根本的に名利の念を断たなければ、いかほど民衆の中に身を投じてみても、人生の根本真理は得られぬということが分かってきたのです。そこで主人公は、ついに意を決して比叡山の洞窟にこもることになるのです。

 

この主人公にはモデルがあるかとよく聞かれますが、強いてお答えするとすれば、わたくし自身がこの世でお目にかかる機会のなかった、明治以降最深の隠者というべき「新井奥邃先生」と、今一人は先ほど申した西晋一郎先生でありまして、卓れた学者でありながら、「現代の隠者」と申し上げるべき幽深な風格の方でした。

 

奥邃先生については、没後50年の近頃になって、一部の具眼の人々の間に知る人が出来かけているようですが、田中正造がその晩年、最も深く尊敬していた方でありまして、正造が晩年キリスト信者になったのも、この方の感化影響と申してよいのであります。

 

新井奥邃という名を初めて知ったのは、今から六十年以前のことでありますが、山川丙三郎先生のダンテの「神曲」の名訳の巻頭についていた序文こそ、実は新井奥邃先生の「語録」の一部でありまして、「日本にも一人の隠者がいる、その名を“新井奥邃”という」ことが、深く心に刻まれたのであります。

 

爾来六十余年後の今日まで、それが私の心中に消えずに生きているのであります。その後古本屋巡りをする際には、何とぞこの人の著述を見つけたいものだと、探し求めたものでしたが、見つからなかったのであります。

 

それゆえキリスト教関係の人に逢うごとに、いつも「新井奥邃という方についてご存知ないでしょうか」とお尋ねしたものでしたが、知っている方には出逢わなかったのであります。ところが京大の大学院に入った頃だったと思います。