斎藤幸平著「ゼロからの『資本論』」を読む(27)
1月20日(土)大寒。
斎藤幸平の新著「ゼロからの『資本論』」から要点を抜粋し、新しい社会への方向を学んでいます。前回は晩年のマルクスが考えていたのは、近代化や経済成長だけを重視するあり方から脱去し、人間と自然の共存を重視し、富の豊かさを取り戻すことだとして、著者はこれを「脱成長」型経済と呼び、晩年のマルクスのコミュニズム論は「脱成長コミュニズム」だと規定しています。
さらにマルクスが思い描いていた将来社会はコモンに基づいた社会であり、これこそがコミュニズムで、社会の「富」をみんなでシェアしていく平等で持続可能な定常型経済社会です。具体的には「各人は能力に応じて、各人はその必要に応じて!」(ゴータ綱領批判)です。
「ゴータ綱領批判」はマルクスが晩年の1875年に著したものです。「各人は能力に応じて、各人はその必要に応じて!」が意味することは、人々は、各々の能力に応じて人々に与え、必要に応じて人々から受け取ることができる、ということです。
コミュニズムは等価交換を求めない「贈与」、つまり、自分の能力や時間を活かして、コミュニティに貢献し、互いに支え合う社会です。生活に必要な食料や土地、道具、さらに知識などの富が持つ豊かさを、分かち合いの実践を通して、シェアしていこうということです。
マルクスの将来社会のビジョンが晩年になり、なぜこのような大転換が起きたかについては、もう一つ大きなきっかけがあります。それは「パリ・コンミューン」という出来事です。1871年2月、プロイセンと戦っていたフランスの新政府は、プロイセンによるパリ占領を容認する形で講和します。
これに激怒したパリ市民が武装蜂起し、その結果樹立されたのが革命自治体のパリ・コミューンです。フランス政府軍に鎮圧されるまでの2カ月間しか存在しませんが、世界初の「労働者自治政府」として歴史に名を残しています。マルクスは「フランス内乱」(1871年)を書いて、その興奮を綴っています。
資本主義の中心であるパリに、貨幣と商品をやりとりして資本と増やすことを目的とするのではない、贈与や相互扶助にも基づいた実践が広がったのです。そのような経済における大改革を基礎にして、コンミューンという形の、国家ではない新しい民主的な政治形態が実現されたのです。
こうした事実が、晩年のマルクスの思考を大きく変化させるのです。コンミューンでは特権階級なきアソシエーションや協同組合が次々と芽生えていました。まさに「労働民主制」であり、〈コモン〉の再生です。
パリ・コミューンの経験がロシアのミールを中心とする共同体研究に向かわせたと考えるのは自然なことです。そこでは西欧とロシアの「コミューン」=「共同体」が呼応し合っているからです。ここで重要なのは、マルクスが過去の共同体研究に見出しのものは、単なる空想ではなかったという事実です。
パリ・コンミューンという“ポスト資本主義”の姿を、ロシアの前資本主義社会に再発見したのです。経済成長を絶対的目標するのではなく、国家に依存するのでもない、そのような共同社会が過去にあったという事実。マルクスは「最古のもののなかに最新のものを見出して」いるわけです。(1868年3月、エンゲルス宛の手紙)
国家による強い統制を拒否しながら資本の廃絶を目指すという意味で、パリ・コンミューン以後のマルクスの思想を「アナーキスト・コミュニズム」と呼びたいと思います。アナーキズムは、個人主義でもなく、無秩序な無政府状態ではなく、下からの連帯を目指す「アソシエーション主義」を指しています。