森信三先生の「日本文化論」に学ぶ
8月12日(金)徳島阿波おどり〜15日。 本ブログは森信三先生の「日本文化論」を一部要約して紹介していす。
かつて北満(満州)の荒野の一角に立つとき、一望無限の曠野であって、眼に入る山の姿はないのみか、行けど行けども涯てなき曠野が続き、ついに山を見るこのできない単調さと物足りなさは、二十数年後の今日これを回想してまざまざとわが胸奥に甦るのである。
何処かに山を仰いで育ってきた経験をもつ者にとっては、あの一望無限の北満の曠野は、まことに名状しがたい一種の寂寞感、物足りなさの思いを禁じえなかったのである。逆にかの地に育った人々がわが国に住むことになれば、その狭隘さの感を禁じ難いことであろう。
人々はそれぞれに自己に与えられた環境の影響を受け、それによって人の世、さらに世界を見て行くものといえるであろう。「山に威霊を感じる」は、すべて自分より卓越したものに対して、畏敬の念を抱く因ともなるであろう。
それにしても、フランシスコ・ザビエル以来、わが国に渡来した西洋人のほとんどが、わが国人に対して好感を抱いたものが多かったと記されているものを読むたびに、かれらをして然か思わせるだけのものがあったことを思うのである。
その一因として、国土の清浄さがわれらの国人に与えた無言の感化を思わずにはいられないのである。しかし国土の清浄さは最近観光道路の開発などで著しく破戒され、その結果戦後わが国に渡来した西洋人は、かつてのような感じを受けることが少なくなったようである。
端点に言えば、民族の文化体系の混乱がその最大の要因という他なく、狭義にはわれらにおける教養の混乱こそ致命的原因というべきであろう。結局は明治以後に輸入した西欧文化の消化の未だしきが故と言う他ないであろう。
儒仏の二大文化は輸入以来千有余年の歳月を経て、われら民族の躰の中に溶融し得たのであり、特に徳川三百年の鎖国令下、その溶融度は高められたと言えるのである。しかるに明治維新と同時に、一朝にしてその全面的否定に遭遇したと言えるのである。
その結果は全然異質な文化体系の性急な摂取を余儀なくされたのであり、そこには個々人の間にも一種の教養体系の混乱を生じるに至ったわけであり、したがってこれは止むをえないとも言えるであろう。