森信三先生の「日本文化論」に学ぶ

 

8月4日(木)仙台七夕まつり〜6日。 本ブログは森信三先生の「日本文化論」を一部要約して紹介していす。

 

農耕人種と牧畜人種の思考様式の差を、風土の相違に淵源する点の多いことに着眼し、そこに精到無比ともいうべき分析を公にした点で、和辻博士の努力はまさに空前の一大偉観というに値するであろう。この点は今や会田雄次、鯖田豊之などの人々により継承され、前進していると言えるようである。

 

そこで一歩をすすめて、そのような風土の相違からくる食生活の差異が追求されると共に、さらにその反映として、東西両洋における人間思考の様式的差異によって生じる根源が、解明されようとしているのである。

 

かくしてヨーロッパ的な合理主義的思考様式と、われわれ東洋人、とくに日本人におけるその情緒的性格とのよってきたる根因は、結局彼我の風土的条件の差に基づくところが多いといってよく、特にその食生活の基本的相違にあると言えるようである。

 

以上の見解は、彼我の文明の相違を、これまでのように単に歴史的条件の相違というよりも、むしろ風土的条件の差に、より多く依拠するとみる見解といってよい。その理由としては、われらの食物の中心は米であるが、モンスーン地帯の夏季は高温、多雨、多湿で稲作に適しているのである。

 

そこでは水田のもつ性格上、西洋のような畜力ないし機械力を利用することは容易ではないのである。しかるに、畑作を主とする西欧の農業にあっては、昔から畜力の利用が盛んであり、同時にそれは機械力の導入を可能ならしめる基盤になったのである。

 

このようなことを可能とする根底には、牧畜を主とする西欧の農業が小麦を中心とする畑作農業だった点にあるといってよいであろう。同時にこのような点にも、かの地において自然科学の発達を見た一つの重要な原因があると言えそうである。

 

これに反して米作中心のわが国は、すべて丹念な肉体労働による他なく、西洋人から見るとまるで園芸的ともいうべき丹念さと精度に驚嘆するというが、同時にこのような処にも、わが民族における手工業的丹念さと精密さが形成された一因由があると言えるであろう。同時にそれらは、時計をはじめカメラのような精密工業にその特質を発揮し、世界に比なき精巧さを示しているゆえんである。