「全一学ノート」に学ぶ

 

2月11日(木) 建国記念日。

 

本日の要約

 

  心の中で持続性、一貫性を求めるのは現実的には容易ではありません。心は

  意識として瞬間的に変わるからです。持続性の確立は「坐」が示すように身

  体から始めなければならないのです。

    

「けだし心は意識として、転変常なきところにその特質があるのであり、随って

単なる意識としての心によって、自己の持続的一貫性の確立を企図するのは、理

屈としては一応可能なように見えても、現実を内包すべき主体の論理としては不

可能であり、さなくとも非常に困難なわけである。」

 

「全一的世界」からの「自著自解」

 

  ここは前節を受けて、行為における持続性、一貫性について述べたものとい

  えよう。総じて人間としての一貫性を考える場合、何よりも大切なことは、

  我われ人間の意識は瞬間的瞬時的だということである。

 

  即ちそれは断続常なき転変性を負わされているというより、むしろそこに意

  識の意識たる特性があるというべきであろう。しかるに我われが、平生「心」

  と言っているものも、現実には意識と即したものであって、

 

  もし意識と切り離されて心というが如きものがありとしたら、それは結局意

  識の鏡面上に浮かぶところの一瞬の想念に過ぎぬといってよい。

 

  かくして我われ人間において、もし人格的一貫性というが如きものがあると

  したら、それは結局主体の一貫性の外ないわけであるが、しかしそれすらも、

  単なる意識だけではその持続は期し難いのであって、

 

  これ古来人間的主体の確保確立の為に生み出された法案である「坐」の意義

  の重要性があり、そして坐における現実基軸こそ、実に腰骨の常堅立である。