人生いかに生きるべきかの「修身教授録」(Ⅱ)を読む 

 

1月11日(金) 鏡開き。

 

第25講 最善観

 

 (大意)

 

 わが身に起こることは、すべてが絶対必然であると共に最善だということで

 す。それゆえ一切これを拒まず、却けず、素直にその一切を受け入れ、隠さ

 れている意志を読み取らねばならないのです。

 

これからお話する内容は、私自身の人生に対する根本信念の一面と言ってよいのです。もちろんこれは、私如きは、その一端にふれたにすぎないのです。それは一体いかなることかということです。

 

西洋の言葉では、オプティミズムに相当しましょう。通例はこれを「楽天観」とか「楽天主義」と訳するのですが、哲学の方ではこれを「最善観」というのが普通になっています。

 

元来このことば、ライプニッツという哲学者の唱えた説であり、神はこの世界を最善につくり給うたというものです。したがってこの世における色々のよからぬことも畢竟するにそれぞれそこに意味があると言えるわけです。

 

神とはこの宇宙をその内容とする根本的な統一力であり、宇宙に内在する根本的な生命力である。そのような統一力を人格的に考えた時、これを神と呼ぶわけです。

 

わが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、最善のはずだというわけです。それゆえ一切これを拒まず、却けず、素直にその一切を受け入れ、隠されている意志を読み取らねばならないのです。