人生いかに生きるべきかの「修身教授録」を読む
11月19日(月)
第30講 謙遜と卑屈
(大意)
謙遜と卑屈はどこが違うかということです。謙遜は人が内に確固たるもの、
自ら信じるところがあってなり得ることです。卑屈とは外見のしおらしさに
もかかわらず、功利打算の念から振る舞う人間のずるさです。
真に謙遜になるのはどうしたらいいのでしょうか。そもそも謙遜という徳の本質は、人間の自覚から生まれることです。すなわち相手に対する自分の分際を考え、わが身のさし出たところのないように、わが身を処することです。
謙遜は、ひとり目上の人とか、同輩に対して必要なばかりでなく、それ以上に目下の人に対する場合に必要な徳目だと言えましょう。そもそも謙遜は、わが身を慎んで己を正しく保つことが根本精神をなすのです。
自らを信じるとは、自己を取り失わぬということです。必要以上にペコペコするのは謙遜ではなくて卑屈です。卑屈は自分を確立していないところから起こる現象でしょう。
相手が目下なればとて、いやに傲慢な態度に出るというのも、これまた自己を取り失ったものと言わねばならぬでしょう。傲慢に振る舞うのは、その人が調子にのり、いかにお目出たいか、滑稽であるかの証拠です。
さらに大切なことは、この謙遜という徳は、元来対人的な処に本質があるのではなく、その人がどれほど真理とか道に取り組んでいるか否かによるものだと思うのであります。