二宮尊徳の「二宮翁夜話」に学ぶ(671)

4月14日(火)

(272)悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂②

「だから接ぎ穂をした者は、よく気をつけて、台芽をかき取るように心掛けねばならぬ。もし怠れば、台芽のために接ぎ穂のほうが枯れ失せてしまうだろう。

私が預かった土地(桜町)に、こういう者が数名おって、この数名のために私は心身を尽くして努力したものだ。そなたたちも、よく心得るがよい。」

清水勝彦教授はコミュニケーションを定義しています。

「送り手と受け手と意味を共有する(度合いを上げる)ための、対話、会議、メールなどを含めた様々な行動」。

「意味を共有する」とは、「相手の言いたいこと、気持ちが分かる、理解する」ことです。意味を共有することは必ずしも相手に合意することではありません。立場や経験によって考え方、価値観は異なるのは当然だからです。

したがって、コミュニケーションの目的は意見の違う人たちを、説得することではなく、「なぜこう考えるか」を分かってもらうことです。意味が共有されて初めてコミュニケーションは成立します。ポイントを要約します。

1. 価値観や考え方が同じ人同士の間では、その合意内容についてよく確認する。
2. 対立する人たちの間ではお互いの価値観がどういうものかを知り、なぜ対立するのか、どこが対立しているかをよく知る。
3. 価値観が同じでも微妙な「違い」に気づき、また対立しても「共通点」を見つける。