二宮尊徳の「二宮翁夜話」に学ぶ(143)

2月23日(土)

(93)古池の句は有無の観

「翁のことばに、芭蕉の句に『古池や蛙飛び込む水のおと』とある。この音は、
ただの水の音と聞いてはならぬ。有の世界から無の世界に入るときの音と観じて聞かねばならぬ。

木の折れるときの音、鳥獣の死ぬときの声と同じものだ。これを通常の水の音とするならば、この句は賞賛すべきところがない。」

2月24日(日)

(94)己を去れば一円観①

「翁のことばに、心が狭く局限されると、真の道理をみることができぬものだ。世界は広い。だから心は広く持たねばならぬ。

広い世界も、己といい、我という私物を一つ中に置いて見るというと、世界の道理はその己に隔てられて、みるところがみんな半分になってしまうのだ。

己というものでも半分を見るときは、借りたものは返さぬほうが都合がよく、人のものを盗むのは最も都合がよかろうが、この隔てとなっている己というものを取り捨てて、広く見るときは、借りたものは返さねばならぬという道理がはっきり見え、盗むということは悪事であることもはっきりわかるのだ。

それゆえ、この己という私物を取り捨てる工夫が肝心だ。儒教も仏教も、この取り捨てかたを教えるのを専一としている。」