「四綱領」を今、どのように活かすのか(19)

7月29日(木)の「一日一語」です。

「『救い』とは『自分のような者でも、尚ここにこの世の生が許されている』ーという謝念でもあろうか。

そしてその見捨てない最後の絶対無限な力に対して、人々はこれを神とよび仏と名づける。」

年を重ねるにつれ、私たちは「だれかに見守られている」、という感謝の念を深めざるを得ないようです。いささかも疑念の余地がありません。

森信三先生の「一日一語」を紹介していますが、その内容と「二宮翁夜話」の共通性を痛感させられるこの頃です。

その理由は森信三先生と尊徳の魂が通じ合っているからだ、といっても過言ではありません。

事実、先生は「夜話」冒頭の「音もなくかもなく常に天地は・・・」から「真実は現実の只中にあり」の学問観を開眼したと伝えられています。

すなわち人間としていちばん大切なことは、生きる目的を発見し、その使命がどこにあるかに気づくかどうかということです。

もうひとつは、その目的達成のためにいかなる犠牲をも厭わず、どこまで徹底できるかということです。決して「結果」だけを求めてはならないのです。

性急に結果を求めることは、ややもすると大切な「因縁」としてのプロセスを軽視することに繋がるからです。