成田山(成田新勝寺)で二十一日間の断食へ(28)
久々に寒さの続いた東京の冬ながら、用心のおかげで風邪は寄りつかなかった一年です。春が駆け足でやってきた本日は早や3月1日(月)。
尊徳は率先垂範し、一人の犠牲者を出すことなく、自らの「至誠」をもって復興計画を達成しようとしたのです。
さらに高慶は語ります。
「この時に当たって、特に腹黒い住民が教えに従わないばかりでなく、共に先生と協力すべきところの役人さえも」
「先生の功績をねたみ、事業を破ろうとし村民を扇動し、その上架空の讒言を行うに至った」
「これら二つの妨害者の間に立って事を成就しようとするからには、その艱苦はいかばかりであったろう」と述べています。
その決意は君命を受けたときから、もし再興事業を成し遂げられなければ、再び故郷へ帰って公に面謁しないという不退転の決意です。
だからこそ「先生は度量が広く、この民を安んじ教化するためによいと思われる道は、ことごとく試みられた」のです。
「あるときは漢学者を招いて聖人の教典を講義させ、あるときは心学者をして村民に教示させた」
「ある時は僧侶をして因果応報の理をさとさせた。しかし、少しも教化の補いにはならなかった」。