成田山(成田新勝寺)で二十一日間の断食へ(2)

豊田のような意地の悪い上司が企業内にいるかも。否、かっては「出る杭は打たれる」、意地の悪い上司が必ず存在していたものです。

しかし今日の企業組織はこの種の愚劣な行為を許さないでしょう? 部下が上司を評価することが珍しくない時代へと変化しています。

しかし身分制度がすべてに優先されるのが封建社会。豊田の身分が尊徳より上座のままで桜町に派遣されてきたことに問題があったのです。

それゆえ彼は尊徳を目下に見て事業を妨げ、領民もまたその言葉に従わざるを得なかったのです。

豊田はことごとく良民を退け、腹黒い者を賞し、三か村を横行して大酒を飲み、口を極めて尊徳を罵ります。

これを憂いた尊徳は穏やかな言葉でさとし、あるいは直言によって導き、仕法の妨げにならぬようにと心を砕きます。

しかし豊田は「少しも尊徳の忠言を用いず、ますます不平をいだき再興の道を妨げた」のです。

佐々井典比古先生の解説によると、文政11年(1828年)は「桜町仕法」の最難関の年だったとのことです。

横田村の草刈場の境界争い、あるいは西隣の寺内村の寺院との紛議騒動などです。その裏には悪民と結託した豊田など役人の反対行動があったのです。

「先生は日夜復興を成し遂げようとし、彼は日夜これを破ろうとする」、まさに「いたちごっこ」のような日々が続いたのです。