「荒地は荒地の力で耕す」二宮尊徳に学ぶ(12)

尊徳の「不書の経文」で思うのは聖人、巨人といわれるような人は自らの考えを本にまとめることはしなかったということです。

尊徳をはじめ、釈迦、キリスト、孔子、ソクラテスの四大聖人には自著がありません、すべて弟子たちがその教えを今日に伝えています。

なぜ聖人たちは本を書かなかったのでしょうか? 

彼らは日々の実践に忙しく、本を書くが如きムダな時間を費やすことはしなかった、ということでしょうか? もっとも想像でしかありませんが。

自称経営・販売コンサルタントの中には「何冊目の本を書いた」「一年で何億円稼いだ」「何回講演した」、といかにも自慢げに語る人がいます。

たしかに本を出版し、同じ話をあちこちで講演して歩けば一時の金儲けになるかも知れません。

しかしその内容は売り上げづくり、低次元のハウツウものですぐに使い捨て、忘れ去られる運命にあります。

ワラをも掴む思いで、この種のコンサルタントと指導契約を結び、結果的に騙されることになったという話は枚挙にいとまがありません。

尊徳の「不書の経文」、「心眼」、「天道人道」などの教えとは天地の違いというべきでしょうか。これは自戒をこめての感慨です。

もう一つ尊徳で不思議に思うのは、これだけ親しまれてきた金次郎(尊徳)が「テレビドラマに登場する」ことがないという謎々です。なぜでしょう? あなたはどう思いますか?