「荒地は荒地の力で耕す」二宮尊徳に学ぶ(10)

茂木健一郎氏の「クオリア」の関連でお伝えした超一流の日本旅館、あさば(修善寺)へ。湖面に浮かぶ能舞台に舞う蛍の幻想的な様は雨で見られず。

お迎えから見送りまでまさに完璧! 季節の鮎をはじめ味覚は最高で美しい露天は抜群。しばしの時ながら日常の喧噪から解放され、贅沢で最高の時空に浸るクオリアを体感できました。

さて先週は難しい話で終わりました。「天道人道」は尊徳哲学の本質であり、後日説明します。「夜話」もさまざまの立場で受け止め方が微妙に違うようです。

こうした「立場の違い」は興味深い問題ですが研究者に任せることにし、本ブログは深入りを避け前へ進むことにします。

ただし服部教授と森信三先生の哲学は、尊徳を媒介としていることもあり不思議と共通するところが見受けられます。

お二人の同質的な学問観、「言葉より行動」「言行一致」など実践重視の思考は傾聴に値します。

服部教授は「日本に哲学が進歩しなかったのは、古来の哲学者達が聖典権威主義者であり、聖典に束縛されていたからであった」、と述べています。

「尊徳は初めてこの束縛を勇敢に破り捨てたのであった。そしてたちまち彼は大なる創造を日本の哲学に貢献したのであった。しかしこうした彼の哲学的功績はこれまで認められていなかった」

「・・・彼は学者を軽蔑し、書籍を軽視したが、それはそうなるべき学者及び書籍があまりにも多く存在していたからであり、また、それらを迷信する人があまりにも多かったからである」。