【オーブの正体は親子の遍路霊か】
以前、一度記事をアップした高知県室戸市の心霊スポット、三津坂トンネルだが、記事を修正しようとしたものの、ワードの原稿自体が記録メディアからなくなっていて、削除後、修正するのも忘れ、何ヶ月も経過してしまった。
同トンネルの怪談について、この怪談を独占しようとした怪談師、南ひとり(怪談ネーム)から各種嫌がらせ(詳細は後述)を受けたものの、現在、ネットに散見される怪談の内容は、私が心霊漫画家に提供し、その漫画雑誌で描かれた怪談の方が広まっている。

南ひとりは営利目的の怪談だから現地取材はしていないが、私は三津坂トンネルができるまで、明治期から利用されていた旧道、椎名坂周辺の地権者から直接話を窺っているため、客観的信頼度は高い。
それに怪談業界の者や、怪談を聞きに来た客(私自身、四国や兵庫の怪談ライブに立った経験あり)に対して、嫌がらせをしたこともない。更に霊が現在でもいる証拠、オーブ写真も撮っている。
みなさんは、口先だけの営利目的の排他的怪談師と、実際に取材して、心霊写真を撮影している私と、どちらの話を信じるだろうか。

県道202号を通る三津坂トンネルは室戸市の市街地と、東部海岸地域の交通の便を改善するため、昭和46年3月に完成した。全長390m。現在、この南に人道トンネルが並行しているが、当時はそのトンネルや、そこに続く歩道はなかった。
この車道のトンネルについて、竣工当初から市役所に何人ものドライバーから苦情が寄せられるようになる。「トンネルの壁面から、女が恐ろしい形相で睨んでくるから、何とかして欲しい。」と。壁面に女の顔がくっきりと浮かび上がっている、というのだ。この女の正体は藩政期、三津坂の峠付近で浪人武士に犯された後、殺された女の霊だと噂された。

そこで市役所では、問題の箇所をセメントで塗り固めた。しかしまた何日か経つと、同様の苦情が寄せられてきた。「また、あの女が浮き出て来た。」と。
役所は今度、念入りに塗り固めたのだが、やはり結果は同じで、苦情が続いた。そして役所は苦慮した後、問題の箇所を鉄板で覆った。流石にもう女は現れなくなった。
尚、現在この鉄板は確認できないので、平成の改修工事等で、シミ等が浮かび上がらない種類のセメントにしたのかも知れない。
現地探訪については、トンネルの方は簡単だが、問題は明治初期まで利用されていた三津坂の峠。峠道は明治期の地形図に記載されていたと思うが、昭和期に廃道となり、痕跡は皆無。

が、それでも地元の地権者に窺い、峠跡の特定はできた。そこへは、トンネル南西の蔵戸神社周辺から登る、江戸時代からある別の峠道から上がると近いが、上り口自体は確認していないから、室戸高校から北東に上がる椎名坂(下方の舗装箇所は車通行可)からのルートを。
稜線の三叉路に出ると南下。峠跡は上の添付写真を参照。
平成2年2月、車道のトンネルの南に並行する形で全長475mの「三津坂歩道トンネル」が完成すると、このトンネルでも霊の目撃が噂されるようになった。雨の日の夜、このトンネルを通ると、親子の遍路の霊が出る、と。

この心霊体験談については、南ひとりは詳しくないが、私は現地で聞き取りを行い、この親子については昭和末か平成初年頃、高知新聞で報道されていたことを知った。
霧が辺り一面覆う、小雨降る夕方、母娘の遍路が東部海岸の地域から県道202号に入り、三津坂トンネルに向けて歩いていき、トンネルのやや東方まで上ってきた時、車に撥ねられた、と。その時、霧で視界が悪く、ドライバーは道路の白線も遍路の姿も殆ど見えなかったらしい。

歩道トンネルや、車道から分離した歩道が整備されたのは、この死亡事故を教訓にし、「歩き遍路」が安全に市内を通行できるようにするためだったのだろう。
遍路の霊にしてみると、「なぜもっと早く整備してくれなかったのか。」と口惜しかったことだろう。
三番目の心霊体験談については、元の原稿がなくなっているため、体験者の当時の凡その年齢や体験時期、施設名等は忘れた。時期は平成初期頃か。
当時、東部海岸地域に居住していたA君という男子中学生か高校生(原稿紛失につき忘却)がいた。彼は毎日自転車で三津坂歩道トンネルを越えて、通学をしていた。

ある日、彼は教室で何人かがある噂について話していたのを聞く。その噂とは、夜、三津坂歩道トンネルを通ると、鐘の音が聞こえて来て、その鐘が8回鳴る間、且つ8分以内にトンネルを抜け出ないと、あの世に連れていかれる、というもの。
その時、A君は「そんな馬鹿な・・・。」と思っていたが、ある日、部活で遅くなり、下校するのが夜になってしまった。最初、その噂のことはすっかり忘れていたが、トンネル入口に到った時、急に思い出した。

A君はトンネルに入ると「ま、まさか、そんなことはないろう(ないだろう)。」と、脳裏によぎった噂話を払拭するが如く、自転車を勢いよく漕ぎ出した。
が、20~30mほど進んだ時、いきなり「ぐぅぉおおーん!」と鐘の音が鳴り響いた。
A君は気が動転した。かなり大きな音で鳴り響いているのだが、この近くに寺はない。
「こ、これはあの世へと僕を連れていこうとする合図ながか(合図なのか)!?」

A君はそれよりもまして必死にペダルを漕ごうとしたが、なぜか、鐘が鳴り始めてから、急にペダルが重くなり、転倒してしまった。その間も鐘の音は鳴り響く。
「ぐぅぉおおーん、ぐぅぉおおーん、ぅおおーん」
自転車を起こすが、焦れば焦るほど、うまく焦げない。が、このままではあの世に連れ去られる。A君は立ち漕ぎし、必死に前へと進んだ。
「あれから何分経過した!?鐘は何回鳴った!?」
腕時計を見るも、動転していたことから、トンネルに入った時間は覚えていない。
鐘の音は止まない。しかも鳴る間隔が早くなってきているように感じた。
「ぐぅぉおん、ぐぅおん、ぐおん」

「もうすぐ出口だ!」A君は死に物狂いでペダルを漕いだ。
何とかトンネルから抜け出たA君は振り返ってみたが、そこにはいつもと変わらないトンネルが佇んでいた。
A君は翌日、登校すると、あの噂を話していた者らに昨日の体験を話したが、その者たちの他、クラスの者で、その噂を知る者はいなかった。
「ど、どういうことながや(どういうことなんだ)!?」
以来、A君はどんなことがあっても、夕方までには下校するようになった。

この歩道トンネルの探訪については、トンネル東口、つまり、親子の遍路が死亡した側に広場があったから、そこに駐車し、車道と歩道のトンネルを少し歩いた。100mは歩かなかったと思うが、何枚か写真を撮った。
当日、写真の「異変」には気づかなかったのだが、一週間以上経ち、再びSD内の画像を見返してみると、二枚の写真にオーブが写っているのに気付いた。前も説明したように、デジカメに写る大半のオーブ的光の玉は、フラッシュの特性によるものだが、今回はフラッシュを焚いていない。トンネル内だから太陽光のレンズへの反射でもない。しかもきれいな球体ではなく、歪な形状。
つまり、これは紛れもない霊的オーブ。東口寄りの場所だったから、あの親子の遍路霊か。

南ひとりは、前述の漫画を見て同体験談をネットに上げているものに対し、その運営者じゃなく、ブログやサイトのサービス提供会社に、記事の削除要請をしている模様。
「これら体験談は体験者が、私を信用して話してくれたのだから、他の者がネット等で取り上げると、体験者に迷惑がかかる。」と。
しかしこれは虚偽。迷惑がかかるのなら、心霊スポット名や地域名の他、体験者の学校が特定されそうな話し方はしてはならないのだが、南はすべて事細かくしゃべっている。体験者も南が怪談師だと知った上で話している。つまり体験者は、不特定多数の客に際限なく話すことを了承しているのだ。
「体験者に迷惑がかかるから」という理由が嘘であるなら、本当の理由はと言えば、この怪談を独占したいため、としか考えられない。それを臭わせる行動も過去にあった。

以前、この怪談について詳しいことを南本人のSNSに尋ねたことがあるが、その返答はなく、南ひとりの怪談会「獄門'sダイニング」(高知市の麺処Monkや高知蔦屋書店等で)を聞きに行った(2回目)ところ、私の席に「店内での宣伝行為や他の客に対する迷惑行為をした場合、強制的に退去させます。」という張り紙がしてあった。他の客の目につくように。これは明らかな嫌がらせ。
宣伝行為も迷惑行為も南の嘘だが、前者については1回目の「獄門'sダイニング」参加時、隣の客が、南がこれから数ヶ月、怪談会をやらないから、怪談が聞けなくて寂しい旨、言ったから、それなら播磨屋怪談会があるから、それに参加したら面白い旨、親切心から勧めただけ。私はその主宰者じゃないから、こんなことを客に言っても一銭の得にもならない。
自分が「獄門'sダイニング」を休む間、客を取られると思ったのか。こんな卑しく腹黒い怪談師は都会にもいない。
南は元僧侶だということだが、在来宗教(まともな宗教)の僧がこんな下劣な発想をすることはない。だからブログや各種サイトのサービス提供会社は南に騙されないで貰いたい。
鐘が8回鳴り終える間、8分以内・・・。8と8=88。これは四国八十八ヶ所を巡り切れなかった親子の遍路霊が、トンネルに入った者をあの世へと、道連れにしようとしている、とでも、言うのだろうか。
歩道トンネルに入って鐘の音を聞いてみたい、という人は次のバナーをクリックミー。
