ANIREISHA~アニメ、霊的スポット、旧車等~

ANIREISHA~アニメ、霊的スポット、旧車等~

アニメ、心霊&ミステリースポット、旧車とそのミニカー、日々のこと等。
※'26年5月現在、各記事にリンクの9ANIMEが視聴不可に。代替は「GOGO ANIME」のサイト内検索で、見たい作品を英語で検索を。
※入退院・手術繰返し中。
〇古い記事へのコメントは遠慮を。

【テレビ版に天体映像等を追加】※現在、再入院中

今年春、プラネタリウム版(全天周アニメ)「チ。 ―地球の運動についてー」の全国上映(投影)について、ネットニュースになっていたが、今月初旬から全国各地で上映が始まった。

テレビアニメの全天周版アニメは、プラネタリウム用のオリジナル作品を製作するケースが多いが、「チ。」については、既存のテレビで放送されたものに天体映像等、一部を追加しているだけ。とは言え、ED曲になったサカナクションの「怪獣」がフルコーラス(だったと思うが)で流れるのはとてもいい。

 

 

ストーリーはラファウがフベルトと出会い、その仮説に驚愕する部分が主体。

私が鑑賞した「さぬきこどもの国」内「わくわく児童館」のスペースシアターでは、上映時間が約40分になっていたが、最初、隣接する高松空港から見える星座についての解説がある。実質の上映時間は25分。

スペースシアターでは過去何度か各種作品を観ているが、今回の入場者はずば抜けて多く、開場前に長い行列ができていた。記念撮影用のラファウのパネルも出ていた。

 

 

入場口からシアターに到る通路沿いには、昔の各種天体観測器のレプリカが置かれていて、「チ。」の世界観を演出しているが、撮影は退場時に、他の客の邪魔にならないようにしたい。

以前、ゲゲゲの鬼太郎を観た際の来場者プレゼントは、ワッペン型ステッカーだったが、今回はA4のクリアファイル。作品が全天周のオリジナルじゃなかったことは残念だったが、入場料(大人600円)でクリアファイルを買ったと思えば、損した気分にはならない。

わくわく児童館の「チ.」以外の見所としては、入口を入った所の右手に展示されている、7,000個の松ぼっくりで作り上げた高さ2mのゴジラ像が挙げられる。「チ。」の主題歌「怪獣」にかけているのか?

四国では他に「あすたむらんど徳島」(7月2日〜)と、「愛媛県総合科学博物館」(10月1日〜)でも上映されるが、愛媛県総合科学博物館のプラネタリウムは四国一(世界第2位)の大きさで、以前、酔って少し気分が悪くなったこともある位。全国の上映館は→プラネタリウム版「チ。 ―地球の運動について―」

スペースシアターでは少なくても7月末までは上映されるが、ラファウが見た星空をいざ観に行かん。

クリアファイルを貰うためにもすぐ観に行く、という人は次のバナーをクリックミー。

【60人以上が飛び降り自殺をした橋等】

(1)浦戸大橋(高知市)

オカルト界では、あまりにも有名な橋。1972年に竣工した当時、世界一のコンクリート橋だった。長宗我部元親の居城だった浦戸城跡のある丘の側から浦戸湾を渡り、対岸の種崎千松公園まで架橋された橋の全長は1,480m、海面からの高さは50m。

 

当初は有料橋で、車の通行を前提にしていたため、歩道の幅員は極めて狭く、対向者とのすれ違いも儘ならないほど。竣工当時、橋の柵の高さも1m少々しかなかった。

尚、ユーチューバー等の中には、自殺防止のため、歩道の幅員を狭くした等と、でまかせを吹聴する者もいるが、毎月のように(建設当初)飛び降り自殺者が出ること等、誰も予想していなかった。歩行者や自転車は、無料の渡船があるから、そちらをそれまで通り、利用する者が多いだろうと思っていたのだ。

 

 

昭和期、オカルト界で有名だった人物の著書によると、1974年ないし1975年からの10年間を取ってみても、40人以上が飛び降りているとのこと。と言うことは、1972年から今日までの飛降り者数は60人以上になるのではないかと推察する。

当初は毎月のように飛び降りる者がいたため、高さ2mを超えるフェンスを設置したのだが、それでもフェンスを上り、飛び降りる者が後を絶たなかった。

 

 

そこでそのフェンスの上に、内側に折り返す「忍び返し」のフェンスを設置し、ようやく、自殺者の姿が殆ど見られなくなった(皆無ではないと思うが)。

自殺に来る者の過半数は車でここまで来ていたと思うが、車の場合、橋の東沿いの道路を南下し、橋下の駐車場に駐車した。そして北に少し戻り、階段を上がって橋へと到った。

 

 

階段の上り口には2010年代半ば頃まで、円い錆びた看板(支柱上部)があった(下の写真)のだが、そこには「ちょっと待て!」と書かれていた。その階段は「死への階段」と言える。

「忍び返し」設置以降、県西部随一の飛び降り自殺名所、土佐清水市の足摺岬展望台からの自殺者が更に増加した。そこで監視カメラを設置することで自殺はなくなった。しかし、北方の「天狗の鼻」付近や、南西方向にある叶崎からの飛び降り自殺者が増えてしまった。

 

 

浦戸大橋で飛び降りる先は、浦戸湾よりも種崎側の陸地の方がはるかに多く、橋の下の集落に住む住民の中には、深夜に何度も「ドサッ!」という鈍い音を聞いた者がいる。

その陸地には大規模な墓地もあるせいか、深夜、橋の上での心霊現象は現在でも続いている。

飛び降りを繰返す霊や、走行している車の前に飛び出てくる霊等、各種語られているが、老婆の霊の目撃談もある。平成10年代に発行された「怨念地図・中国四国編」(G・H・M研究所刊)には、20代の女性のサイクリストが橋で休憩中、老婆に声をかけられた様子が掲載されていた。

 

 

老婆は「昔は、よう(よく)ここで身投げするもんがおったわよ(いたのですよ)。水はひやい(冷たい)、苦しい、苦しい・・・。」と、言ってきたそうだ。

「そうなんですか。」と女性が返し、ふと視線をそらした隙に、老婆は消えていたという。

数日後、高知新聞を見た、その女性は驚いた。あの時の老婆の顔写真が載っていたのだ。浦戸大橋付近の海岸で水死体として発見されたということなのだが、死後数年経過していたという。

 

(2)昇雲橋(仁淀川町)

2000年代前期、仁淀川町在住の林業関係者に聞いた話。1990年代以前、中津渓谷に架かる昇雲橋から飛び降りた者が何人かいる、と。夜、橋の袂を通る車道から、橋に立つ霊を見た者がいるという。

中津渓谷は県有数の渓谷で、仁淀川の支流でもあるため、人気が高い。

私も二度ほど、渓谷の遊歩道を西端まで辿った際、昇雲橋から渓谷を見下ろしたことがあるが、吸い込まれるような落差がある。

 

(3) 夢の吊橋(いの町)

いの町に四国一の高さ100mを誇る「渡れない」吊橋があるのをご存知だろうか。この橋は「ワンダーJAPON:高知・徳島」(スタンダーズ社刊)でも紹介された中追渓谷に架かる「夢の吊橋」。

 

 

が、元々は普通に渡れる橋だった。昭和46年から平成10年代半ば過ぎまで、渓谷の中心部は中追渓谷観光社の所有で、「中追渓谷レジャーランド」を運営していた。

昭和50年代まではゴンドラやミニジェットコースターのような遊具も擁するテーマパークだったが、昭和60年代にはそれらは皆、撤去され、温泉や釣り堀、研修施設、武道館、歴史資料館、遊歩道の各種吊橋のみが残っていた。

 

 

私は大規模な遊具がなくなって以降と、廃園後の2回、夢の吊橋を渡ったことがあるが、流石に四国一の高さのため、見たことのない「景色」が広がる。

飛び降り自殺については直接耳にしたことはないが、廃園後、吊橋の下の渓谷から風の音や沢音に混じって、うめき声のようなものが聞こえる等ということは聞いたことがある。

 

 

その理由が何となく分かったのは2020年前後頃。吊橋の車道寄りの橋板が全て外されたのだ。廃園後の各種吊橋は朽ちていったが、夢の吊橋も車道側の入口にフェンスが設けられ、立入禁止看板が設置されていた。

廃園後、何年か経って、中追渓谷観光社が所有していた土地は民間の老人ホーム運営社の所有に代わった。夢の吊橋の存在は、前述の雑誌の記者が参考にした、トラベルライターのネット記事がネットニュースになるまで、県民でも知る者は殆どいなかったが、橋板が外されたということは、フェンスを越えて吊橋を渡る者がいたからだろう。

 

 

中追渓谷観光社の時代、車道側の吊橋の袂には会社の本館があったから、昼夜共、無断で吊橋に立ち入ることはできなかった。日中は入園料を払えば渡れたが、各種遊具が撤去されて以降、冬期は無料だった。

現在、本館は廃墟になっているが、日中は老人ホームの「目」があるから、吊橋に立ち入ろうとする者はいないだろう。

しかし深夜はどうだろうか。ここは心霊スポットとしては認知されてないから、心霊マニアが来ることはない。来るとすれば、それは・・・。

尚、橋板がなくなって以降も渡ろうと思えば、高所恐怖症でない限り、渡れないことはない。但し、詳細は自主規制で記せない。

 

飛び降り辛くなった高さ50mのコンクリート橋と高さ100mの吊橋。現在でも心霊の噂があるということは、稀に飛び降りる者がいるからである、とでも、言うのだろうか。

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【エンツォ・フェラーリが「世界一美しい車」と絶賛】

ルパン三世の少年期の活躍を描いたアニメ「LUPIN ZERO」には、父親のルパン二世の愛車、ジャガーEタイプが登場するが、この車はエンツォ・フェラーリが生前、「世界一美しい車」であると絶賛したほど。

 

旧車イベントで見かけるEタイプの殆どが、シリーズⅠ(前期型)かⅡ(中期型)のロードスターだが、スタイルの美しさの極致は、同ⅠとⅡのクーペにある。

極端に伸びたロングノーズと、極端に短いショートデッキは、1960~70年代半ばまでの流線形が主流だったスポーツカーのボディ・スタイルの手本と言える。

 

 

1950年代半ば、ジャガー社はXKシリーズに代わるスポーツカーの開発に着手。そしてDタイプのコンセプトカーを経て、1961年、アールズコート・ショーでEタイプ(シリーズⅠ)を発表する。性能もさることながら、そのボディ・スタイルの美しさに誰もが注目し、一躍ショーの花形になった。

6気筒DOHCエンジンはXK120、モノコック構造はDタイプ(HX-SS)から継承したが、全輪独立懸架はジャガー社としては初採用となった。

 

 

総排気量3,781cc、最大出力265bhp/5,500rpm、燃料消費18mpg、最高速度240km/hという性能を誇りながら、価格を2,000ポンド少々に抑えたことから、セールス的にも成功を収めた。

1965年には総排気量が4,235ccにアップし、ギアボックスがフルシンクロ化、翌年には2+2シーター・モデルが追加された。

1969年にはパワステがオプションに追加され、パンパーも重量感のあるものとなったシリーズⅡになる。

 

 

米国市場はジャガー社も重要視していたが、シリーズⅡでは米国向け輸出車は排ガス規制に対応するため、最大出力を245bhpに下げ、最高速度も125mph(約201km/h)にダウンした。

が、セールス的にさほど不調になることはなく、シリーズⅠからⅢ(1975年まで生産)までの生産台数72,584台中、米国には49,031台が輸出された。

 

 

1971年、この排ガス規制による性能ダウンを回復させるべく、総排気量を5,343ccに上げたV12 ・SOHCエンジン(XJ-13をベースに開発)を搭載、最高出力272bhp、最高速度は227km/hまで回復させたシリーズⅢに移行。

ⅢはⅠやⅡと比べると、外観の違いは明確で、フロントグリルが格子状になり、テールランプも大きくなった。

0→60mph加速6.9秒のV12エンジンは高性能だったため、後継車のXJ-Sにも搭載されたが、同車の複数期の実車写真とミニカーも持っているので、機会があれば紹介したい。

 

 

実車写真は、ロードスターの方はシリーズⅠで、関西の自動車博物館で撮影。同博物館には二度行ったが、二度目時は展示台数が10台以上増えていた。

クーペの方は九州の自動車博物館で撮影。これまでロードスターしか見てこなかったことから、クーペ・スタイルはスタイリッシュに感じた。

 

 

1968年式、4,235ccで265馬力の表示があり、車種は「シリーズⅠ1/2」。

1967年から1968年にかけての1年弱の間、米国の安全基準に適合させるため、ヘッドライト・カバーを無くし、ホイールのスピンナー等を変更したものを輸出していた。

 

 

ミニカーは、シリーズⅠのロードスターの方はデルプラド・カーコレクション。一見すると良さそうに思えるが、ワイパーとルームミラーがフロントガラスと一体化していて簡便。ヘッドライト周辺の造形は、マガジンの付録ミニカーとしては優れている。

クーペの方は同じくシリーズⅠの1/43。3年ほど前、アマゾンにて2,980円(送料無料)で購入。「並行輸入」の表示があったが、メーカーは不詳。

楽天市場

 

これもアマゾンの商品写真を見る限りでは、良さそうに思ったが、ヘッドライト・カバーの上部がきれいな設置ではなく、ルームミラーも透明のアクリル。ボンネットに大きな「Jaguar」の表示があるのも戴けない。車内は見え辛いから、よく分からない。やはり「安かろう、それなりだろう」か。

再来週にはまた再入院&再手術するから、旧車記事の次回投稿はしばらくできないかも知れない。

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