※予約記事になります。
続きになります。
最初に兄と母が訪れた病院は地元にあるI病院だったのですが‥‥
ここの病院、当時の院長が物凄く態度が横暴で‥‥
ご自身が発達障がいがあるのでは?と言われるくらい話が通じないことで有名な病院だったのです。
(おそらくアスペルガー)
私も最近このことを知ったのですが。
当然兄との相性は最悪‥‥
初日で兄は行かなくなりました‥‥
母からその話を聞き、当時はまた兄がワケわからないことで切れたのだろうな位にしか思っていませんでしたが、いま思えば兄の判断は間違っていなかった(これに関しては)
でも兄は自分が納得するまで突き進むところがあり‥‥
なんと自ら次の病院を探し始めたのです。
これには私もびっくりしたのを覚えてます。
私も兄に聞かれたのですが、療育センターは18歳までしか診断しないので、大人の発達障がいを診断されるところは全く分からず‥‥
子供たちが寝たあとにネットサーフィンをする日々。
そこで知ったのが、地元の隣にあるI市にあるU病院。
評判も良かったので、ここを進めました。
(内心ドキドキしながらね)
ここは最初に行ったI病院とは全く違う対応。
最初に心理士さんとのお話→発達検査→ドクターいうごく当たり前の流れ。
心理士さんもドクターもとても丁寧にお話して下さったようで。
最終的にそこで兄は【知的なし】の自閉症スペクトラムと診断されました。
※ちなみに従兄弟も後にこの病院で診断。
付き添った母曰く一番印象に残っていたのが
「今まで物凄くしんどかったでしょう」というドクターからの問いに兄は何も言わず、ただ深く頷いていたこと。
兄はね、弱音を一切はけない人。
文句は常に言ってましたがね。
私ね、それを母から聞いたときだと思いますね。
【兄のことを大嫌いじゃなくなった】のは。
いや、今でも当時を思い出して苦しくなるし、心身が不調をきたすと兄のことをよく思い出す位トラウマにもなってはいるのですがね。
でも、兄は兄でとても苦しんでいたのも分かるので‥‥
こればかりは綺麗事じゃないんですよね。
やっぱり息子たちと重なる部分もあるわけで。
それに診断されてから兄は変わりました。
根本的な認知の歪みは勿論残ってますが、ほんの少し他人を思いやる気持ちが出てきたように思います。
私は兄も診断されて良かったなと思っています。
きっとバイク事故が無かったらいまも兄は病院にいっていなかった。
いくらこちらから受診を進めても切れられて終わりでしたからね。
親が気付き、率先して動ける幼児期とは異なり、
成人した大人に受診させるのは困難なことが多い。
本人の意志やプライドもあるわけですから‥‥
やはり発達障がいの診断やそれに伴う療育は、早ければ早いに越したことがありません。
兄も幼児期に診断されていたら‥‥
私が兄の障害を知っていたら。
兄の人生も私の人生も今と違っていたかもしれません。
今さら何を言っても「たられば」に過ぎませんが。
長々と書いてしまいました。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。