やっぱり想定内。 | クズで何が悪い!

クズで何が悪い!

場末の飲み屋の酔っ払い程度の「なんでもかんでも言掛り」です。

「派閥の幹部は送検見送り」のニュース。やっぱりそうなるよねぇ・・・が率直な感想。やれるわけないんだから、検察に。いや「出来っこない」って事でしょう。その結果、国民が失望しようが、見放されようが「知ったこっちゃない」って事で、どこでも誰でも目指すは「保身」。

死人に口なしって事で、全部「安倍さん」「細田さん」に責任はおっかぶせ、逃げ切りに懸命なようで、色々駆け引きが「見えないところ」で行われているのでしょうね。汚い限り。。。

 

今の「政治資金規正法」が大幅に改定されたのは、小選挙区が導入されたとき。自民党は小沢さんが主導で進め、しかし結局「権力闘争」に負けて自民党を割り、細川連立政権へと向かい、結果「改定」された。これにより「企業団体献金」は規制され、その結果「無数の政治団体」が創設され「ザル法」へとまっしぐら。今に至る・・・。

 

そもそも「政治に金がかかる」と言うのが最大の「金集め」の理由だそうだが、今回逮捕された池田氏。最大の使い道は「飲み食い」。もっと言えば「夜の街での遊び」。更に言えば「キャバ嬢の囲い賃」。有名だったそうだ、遊びっぷりの豪快さは。

それも含めて政治なのかね?と。他にも、全部とは言わないが「私的利用」が大勢を占め、必要資金で使った議員のんほうが「稀」。そらそうで、堂々と「突っ込まれず」に使う金なら「帳簿に記載して」も問題がない。がしかし・・・という事。

 

海外に比べて「多額の報酬」を受取り、それ以外のお小遣いも受取り、更に政治資金集めの個人パーティも行い、政党交付金から分け前も受取り、更に個人献金も受取り・・・どんだけ稼げば満足するのか?と、聞いてみたいもの。ちなみに、少しだけ関係者から聞いたことがありまして、この制度「昔から誰も疑問を挟まず続いてきた制度」らしく、悪いという認識すらなかったようだ。

 

似たような事を民間人がやれば、間違いなく「逮捕」「起訴」「有罪」で、良くて執行猶予、悪質性が高いと判断されれば「実刑」となる。今回のケースも、普通の考えで言えば「実刑相当」の悪質な、長く続けてきた犯罪。しかも、資金はほぼ「遊興費」というのだから、これを起訴しない検察は・・・死に体。

 

小選挙区にした時に、「政治は金がかかる。小選挙区にすれば無駄な経費が抑えられる」といったはずだ。しかしよく考えてみれば、例えば「選挙カー」。選挙区が小さかろうが大きかろうが「一日に走る時間」は一緒。であれば、それにかかる費用は変わらないはず。変わるのは「選挙看板の数」くらいなもので、ポスターが何枚か増える程度の微々たるもの。

そして一番の弊害。それは「複数候補の場合政策で差がつかない」ので、本来の「政策論争にならない」というもの。これにしたって、政党が同じでも政党が違っても、それほど「違う政策」で勝負してるか?と言えば、一切「そんな事はない」。思い返してみればいい、国政はもとより「地方選」など、どの政党だかわらないきくらい「似たような事」を言っている。

 

また、小選挙区になって「より地元」に近い事ばかり主張するようになった。本来やるべき「天下国家」の問題ではなく、やれ「病院が足りない」だとか「学校問題」だとか、「道路」だの「ゴミ問題」だの、本来「県議や市議」のやるべき話を延々語る政治家。そうなれば、そこには「利権が絡む」事となり、国会議員であるにもかかわらず「地元の利権」にまで「手を突っ込む」。そうなると地元の金主様方も、「先生・先生」となる悪循環。これで、小選挙区になって良かったなんていえるのかね?

 

 

例えば、今の教育現場では「大学の専門学校化」と言われる問題がある。より「即戦力」を企業が求めるあまり、大学が「知識・学問」の習得ではなく、「専門的知識の習得」に偏る傾向の事だ。これは如何なものか?と、国は考えない。

 

この傾向が進んでいる証明は、学部・学科の名前で証明されている。なんだかわからないような「なんちゃら化学科」だとか、「情報処理学部」などは典型的で、スポーツ科学なんてのもそうだろう。

オレらの頃の「経済学部」だの「工学部」なんてのはなくなり「より専門家」になった呼称へと変わった。

 

教育学部・スポーツ学科くらいまでは良かったが、スポーツ経済学科なんてのはいったいは何を学ぶのか? スポーツの商業化に伴う、より実践的な「マネージメント」「商業科」などを教えるらしいが、それを習得する前の基礎的な「学問」「知識の習得」がなくなれば、それは「専門学校」と何が違うのか?という事で、大学の存在意義に関する大問題のはず。

 

こういうところの最大の問題が「スポーツ特待」であり、いくつかの大学が採用している「一芸入試」というもの。簡単に言えば「一芸に秀でる者に対しては、他の能力は問わない」という事で、勉学は「合格の要件ではない」という事。これでは、一斉テストで「基礎能力」を問う今の国立大学とは、まったく「別物」の教育機関という事になるが、「総じて大学」。卒業すれば「〇〇大学卒」で一括り。社会の評価もそう。これでいいのか?と、疑問を呈する「大学」「文科省」は・・・ない。

 

理想かもしれないが、綺麗事かもしれないが、大学は「学問を深める」場所だと思う。無駄に思える「哲学」を学んだり、文学・語学を学んだり、知識・考え方の基礎を学ぶ場所。それが「語学は留学で」とか「統一テストの結果がその人の語学力の全て」などと評価されるに至り、大学の4年間の意味すら・・・薄れているのではないか。

 

だいぶ横道にそれたが・・・

本来やるべき事もせず、金集めに走り、言い訳満載で法律違反を平気で行う。それでも、しっかりやるべき事をやり、国を豊かにし国民を豊かにし、外国からもバカにされない国を作っているのなら、まだわかるが・・・全部ダメじゃねぇか、今の政治は。

 

今の大学卒は、間違いなく優秀なんでしょう。オレら5流大学卒と違って「勉強は出来るのでしょう」。でもね、負け犬の遠吠えかもしれませんが、「頭がいいのと、勉強が出来る」のは全然違うのですよ。

そして、4年間を「就職の為」に「専門知識のみ習得」するために過ごしてきたやつらと、「単純に無駄な時間」を過ごしたオレらのような人種と、何が違うか?と言えば・・・「幅」なんですよ。オレらのようなクズは「専門的知識」には欠けるが「雑学」なら負けなかったり、「遊び」「スポーツ」の経験値も違ったり、考え方の「幅」を持っている。ゆとりがあると言えば言い過ぎだが、打たれ強いし、視野も広い。更に言い方を変えれば、社会の中での「使い勝手が違う人間」って事で、けして劣ってる訳でも無駄な人間でもないのですな・笑

 

勉強ができる人はそういう仕事を、オレらのような底辺のクズも、それなりの役割があり、優劣は簡単にはつかないのです。しかし、そこに「むりくり」優劣をつけようとするからおかしくなるんで・・・役割分担と考えれば、どんな人でも社会の構成員と考える事が出来る。

 

そういう考えの人が「政治家にはいない」から、姑息な、もっと言えば「貧乏根性」の「金の亡者」が増え、少しの金で「持った気になってる」成金根性の・・・品性にかける政治家が増えている。その証拠が「フランスへ行けば舞い上がり」「銀座へ行けば下品極まれり」じゃないというのなら、証拠を見せろ!という事です。

 

考え方に「品がない」から、やることなす事「品がなく」「セコイ話」ばかり。

最早、期待するほうがバカを見る。そういう事でしょうね。