時代は変わったのねぇ。 | クズで何が悪い!

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場末の飲み屋の酔っ払い程度の「なんでもかんでも言掛り」です。

 
今朝の通勤での一コマ。

 

 

 

なんだかわからないでしょうが・・・これ「どっかの中学生」の集団です。野外レクなのか、何かのために集団で歩いております。色んなキャラクターがおり、懐かしいやら可愛いやら^^;

 

そんな集団を「半笑い」で見ていて、ふと気が付きました。

「最近は、これが当たり前なのか?」と。

 

それは・・・

「日傘」

数名の「女子はともかく、極々少数ですが男子まで」、日傘をさしてます。オレの経験に基づけば・・・「ありえねぇ」っす^^;;;ま、これが「時代」なのでしょう。傘をさして悪いとは思いませんが・・・なんだか違和感がありますね。それだけ、子供の「意識」の変化があり「親の意識」も変わり・・・なにより科学的見地に立てば「体質の変化」は見逃せないという事でしょう。なにしろ、50年前の子供と比較して「明らかに汗腺が少ない」らしいです、今の子供は。

その理由は、「エアコンの普及」。

新生児のころから「エアコンは当たり前」の生活で、「汗をかく」習慣が、時代とともに「著しく少なくなり」、結果人間の体は「環境に順応」しますから、「汗腺の減少」という事のようです。

 

なので・・・

子供に「炎天下での運動など」を強いる行為は・・・昔はなんでもなかったが、今では「殺人的」に成り得ると、そういう事のようです・・・知らんけど^^;;;

 

 

しかし見方を変えれば「進化ではなく退化」でもあるのです、今の人間の体の構造の変化は。

汗腺に代表されることもそうですが、「細菌」に関することもそうです。清潔で衛生面が飛躍的に改善された結果、雑菌に対する耐性が落ちておりますね。

色々ある病気に、それを理由とする部分が多いようです。人間は、進化の歴史の中で「細菌に対する耐性」、言い換えれば「免疫力」を高めてきた歴史があります。簡単に言えば、「多少、傷んだものを食べてもおなかを壊すことは少なかった」のだが、今の時代では「簡単におなかを壊す」といったように。

 

殺菌に敏感になった結果、少しの細菌にも敏感に反応するようになった、そういう事です。

 

昔は・・・「鼻をたらして、手も洗わず」平気でものを食っていたが、今では「手を洗う」そして「除菌する」、その上で「気を使ってものを食う」となり・・・それはそれでよい事なんですが、病気に対する耐性は間違いなく落ちている、と思います・・・知らんけど^^;

 

だからなんだという事じゃなく・・・なんでもかんでも「進化すれば事足りる」と、そういう事ではないと思うと、そういう事です。

 

まさに「氷山の一角」でしょう、給付金詐欺のニュース。

言語道断なんだが・・・思えば「規制」「制度」ってのは、作った側が「対象となる側」を、上から目線で「お前たちを信じてない」という前提で作られてるものだと思うのです。

交通規則なんてのはまさにそれで、「みんなバカだから、こういう規則で縛ろう」と思えてないのです。その理由の一つを上げれば、最近法制化された「電動キックボード」なんてのは良い例です。

あれが「無免許で歩道も走行可」しかも「ヘルメットも努力義務」って、それまでの道交法からすればオレには理解できな判断。だっから、原付バイクのヘルメット義務化はどうなんだ?だし、原付であっても「自転車」なのに、大型バイクと同じ法が適用されるが、キックボードは「20キロ以下」を条件に、無法地帯化された。

 

そもそも、自転車だって「車両」であるなら「免許化」も必要と思う反面、それをしないなら「ヘルメットの義務化」の意味のわからないし、車の「シートベルト着用の義務化」だって、オレからすれば意味がわからない。

安全面という「錦の御旗」でいうが、それで「事故が減ってる」のかね? そりゃ、「事故を起こした時の被害」は大きいでしょうが、そもそも「事故の抑制には何の効果もない」。

 

事故に対しての安全性などというが、それは「被害者」に対しての安全性ではなく、事故を起こした「犯罪者」に対する安全性ですから、そこまで考える必要があるのかね? そもそも、「覚悟の上の違反」だし「事故」じゃないのかね?

それなら、違反に対しての「厳罰化」を強化したほうがいんじゃね?と。

 

考え方として・・・犯した罪に対して・・・

「知ってて犯した犯罪」と「無意識に犯した犯罪」のどっちが重いか?という事ではないかと。 これについては、人それぞれの考え方があるでしょうし、どっちが正解か?は、オレにはわかりません。

なので、お釈迦様の見解を記してみれば・・・「知らずに犯した罪のほうが重い」だそうです。簡単に考えれば「罪の意識はなかった」と言えば、なんだか許されるような気もするし、知ってたやったのは「確信犯」として、罪が重いような気がします。しかし、お釈迦様はこう言いました「焼き火箸を知ってて握ったのと、知らずに握ったのとどっちが(被害が)重いか?」と。

誰が見ても、知らずに握ったほうが被害は大きいという事です。知ってれば「防御」が出来ますから。

 

そういう事だと思うのです。みんなバカだから、とりあえず規制してやれ、オレらが考えた制度は間違いがない、と。

本質に対して、という部分が欠落し、法のための法、ルールのためのルール・・・所謂「為にする」という事ではないかと。

もっと、「自己責任に基づく」という概念がなければ「利用者にしては、こんな扱いずらいルールはない」と感じませんか?

 

ノーヘルで事故を起こした時点で、それは自己責任に基づくだし、シートベルトを着用しないで事故を起こした時点で事故責任・・・その結果「被害が甚大」であっても、それは自己責任でしょ?と考えることは間違いなのか?と。

無意識に「他人の嫌がる事」をしたり・言ったり・・・それがどれほど罪が重いか?を考えなければ・・・。

 

 

ま、意味不明な文章でしょうが・・・意味不明なのです、世の中のルールの法律も。

ウクライナを見てもしょうでしょう、世界の多くが「悪い事」と認識しても、「それなりの対応」しかできない。ある国は「原油の依存度が高い」からという1点のみ、制裁には反対という。いけないことだと言いながら、それを容認する・・・所詮は、それが「法律」であり、国際社会の共通認識だという事です。

 

 

なので・・・

公務員だって犯罪は犯すし、その公務員が法律を作っているし、本来作るべき政治家は公務員に丸投げだし・・・そもそも「万能な法律」なんてのは存在しないのですな。

であれば、「貧乏は自己責任」なら、「犯罪被害も自己責任」、「犯罪者の罰則も自己責任」・・・被害の度合いに対して、もっと厳罰化でもしない限り、いつまでたってもなくならない、それが現実ではないかと思う次第です。そして「やられ損」は、いつまでたってもなくならない・・・。

 

色々、むなしい世の中ですが・・・その中で「自己責任で楽しみ方をみつけて生きていく。

それしかありませんので、バカだと言われようがクズだといわれようが・・・自己流です、わたくし・大笑

 

 

色々調整しまして・・・

明後日はゴルフ出来ることになりました・笑

 

雨か。。。