なぜ評価しないか?には、ちゃんとした理由がある。 | クズで何が悪い!

クズで何が悪い!

場末の飲み屋の酔っ払い程度の「なんでもかんでも言掛り」です。

毎日・毎日・・・単なる「数字の増加」にしか見えなくなってくるという、恐ろしい現実。それが、感染者数という数字。

そう思いませんか?オレは思います。最早、二桁・三桁で大騒ぎしていた2年前が懐かしい。今は、誰もが「しょうがないでしょ」と、開き直り?悟り?の心境で・・・「特に思う事はない」というのが実情でしょうね。

 

それでいいとは思いませんが、オレもやっぱり「しょうがない」。何をどう騒ごうが、場末の下級国民に出来る事はなく、「黙って見つめる」以外に方法はありません。TVで何を報道しようが、誰が何を言おうが、どうにもならんでしょ。だって、みんな「生きてかなきゃならない」という現実を、否定できるものじゃないのだから。こうなれば、どんな対策も効果は薄く・・・薬の開発・認可・・・それ以外に防御する方法はありそうもないでしょう。

 

事ここに至って、進まない「3回目の接種」ですが、大変穿った見方ですが、「国内の開発を待っている」のでは?と思えてしょうがないのですよ。なんでも、「塩野義製薬」が、「3月の供給開始を目途に特例承認を申請」だそうですから、そうなれば「ファイザー頼み」だったワクチンも、国内生産の目途が立ち、いや目途が立ったというよりも、高額の開発費用を投資して作られた「国内メーカー」のワクチンを「使わない」訳にはいかない。なので、あと2か月・・・時間を稼いで「国内製」に全面シフト。それが、オレの「穿った見方」です。なんでも「交差接種」のほうが「効果が高い」そうですから、その報道なども、「3回目は違うワクチン」を後押ししてるみたいに思え・・・と、無責任な意見です、はい。

 

しかしまぁ、ぐちゃぐちゃですね、正直。誰にも「正解はない」状態ってのは、こうなるんだという、象徴のような・・・いや「社会実験か?」とおも思える混乱ぶり。あの「人流抑制ではない」と宣った先生も、すぐに「訂正」。当たり前だろ?オレレベルの人間だって「おかしい」と思える発言なんだから。政治家も専門家も・・・どうにもならないと・・・正直に言えない苦しさ・・・お察し致しますが、だからと言って見当違いな発言は、どうぞお控え下さいと言う事です。
 

さてさて・・・

復活したようで、あちこちで「持論を展開中」の安倍元総理殿。

あなたを信用しない、あなたの政策を支持できない・・・そういうオレの考え方には、取るに足らないとお思いでしょうが、それなりに理由はあるのです。

今度は、「マスクを配布すると言ったら、2~3億枚の希望が寄せられた」と、笑い話で済まそうとしてるようですが・・・バカなの?

それまでに使った「ムダ金」・・・全部返してから言いなさい。そして、全部「送付する」として、いくらかかるのか?その分は、個人で負担してから「笑い話」にしなさい。笑い事じゃねぇぞ、マジで。。。

 

今回は、一つだけ・・・その「根拠」を示そうじゃないか。

まあ、右寄りの思想信条の方ですから、当たり前と言えば当たり前?なのでしょうが・・・と、断った上で・・・森友問題。

事の経緯は「絶対に明らかにしない」「官僚が自殺しようが、隠すものは隠す」のですから、それは今回は書きません。しかし、「教育勅語」を幼児に唱和させる、典型的な右寄り教育法人、森友学園・籠池氏が「安倍晋三記念小学院」と命名するだけの、右翼的思想は、こういうところで示される。そして、それ自体が如何なものか?であり、安倍さんが主導する憲法改正に至る道筋は、日本を正しい道へ導くか?ではなく、自分の思想信条に合わせる為にやるのか?理解できないと、そう言う事です。

戦後、日本で制定された教育基本法の前文には、こう書かれています。

 

1947年公布・施行された、旧「教育基本法」の前文

「我々は、先に、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力に待つべきものである。我々は個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立する為、この法律を制定する」

 

これを、第一次安倍政権時、改正・教育基本法」としたものの前文には、それまでなかった「道徳教育」について、「公共の精神」を尊ぶ事が掲げられ、旧法ではふれられなかった、「愛国心教育」も、第二条の「教育の目標」で以下のように書かれています。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う事」

 

これについて、「何が違うの?」と思う人も多いでしょう。オレも、違和感を感じながらも、厳密にはわかりませんでした。感じたのは、「旧・教育基本法の前文は、今の時代に会っても通じる、良く出来たものだ」と言う事。まあ、細部にわたって・・・となれば、改正の必要性は感じるが、前文について変える必要をあまり感じない・・・それが本音。

 

しかしながら、専門家に言わせれば・・・いやいや、専門家どころか、文科省の役人に聞いても、如何なものか?というのが、実態らしい。

要は、「偏狭なナショナリズムを呼び起こすことが懸念される、道徳教育や愛国心が明文化された」と、そのようです。言われてみれば・・・ですが、そこまではオレのような人間にはわかりません。

 

しかし、これを基にして「憲法改正論」に舵を切るとなれば・・・それは如何なものか?と言う事です。

 

以前、某大物政治家が・・・「何が外交の基軸か?と聞かれれば、しいてあげれば「国連主義」だろう」と言っていたのを思い出す。今の世界情勢を見て「国連主義」なんてのは、誰も言わないしょうが、だからこそ、この政治家の言い分は、ある種「的を得ている」と言う事で、言い換えれば、「これでしか解決の道はない」と言う事です。

今は、世界中「国益主義」がまかり通り、なんでもかんでも「国益優先」。原油の問題然り、ウクライナ情勢然りです。結果、世界に主流派「専制主義国家」となり、世界の半分以上が・・・「民主主義しら放棄」しているのが、「国体」としての現実です。

 

そういう現実から見れば・・・なぜ教育基本法を改正する必要があり、しかも前文を放棄し、愛国心を明文化する。その理由は何なのか?と疑問も起こる。そして、その後の政策を見ていれば、まともには見えない。もりかけ・さくら・・・などなどの「不祥事」連発。官僚は「忖度三昧」で、まとものな仕事が出来ない。なんでもかんでも「改ざん天国」で、都合が悪いものは、改ざん・隠蔽・・・経済は、今は「コロナで隠されている」が、現実・実態は・・・という事です。

 

これでね、信じろってほうが、無理があるという、オレなりの理由があるって事ですよ。

他にもあるが、機会とやる気があれば、別の機会で。

 

よく野党が、「改悪」って使いまして、そういう言葉があるのか?と思ったりしますが・・・

「改める」って事に、悪いほうに改めるって、日本語としてどうなの?と。

改めるって言葉自体、良いほうに改めるんじゃないのかね? 悪いほうに変えるのは・・・

それなりの「新しい言葉」でも作って表現したほうがいんじゃね?

政治家自ら、自国の言語を崩壊させるような言葉は・・・どうなの。

と・・・

昨日の「報道」を見て・・・非常に憤ったと、そう言う事です。

 

マスクは、自腹で全部買え!!!