こんな本です。
東野圭吾さん
「容疑者Xの献身」直木賞をとってる作家さんなのですが・・・
結構読んでますが・・・「容疑者・・・」は読んでません。
理由は、へそ曲がりだから・・・という事で。
この本は、作者の回想(小学校~大学)を書いている本で・・・
創作ではありません。なので、読む前は・・・「・・・」でしたが・・・
時代が、俺らより少し前の世代で、多少の共通項はある・・・という事で・・・
はまりましたw
公立の理科系大学を出て作家さん・・・珍しいタイプですが・・・
読めばわかります。
さてさて・・・
当然、俺にも学生時代があり、本のタイトル通りに「バカ」でした。
なので・・・思い出しながら・・・
余談ですが・・・個人を特定されるような内容は書きません、極力。
がしかし、今でも「こいつだけは・・・」というブロガーさんは、まだお付き合いのあった当時・・・
ブログのコメントで、個人が特定されるようなコメントを多く書いてました。
「いやがらせか?」というほどに・・・
ま、特定されて問題は・・・あったのですね当時は。
それは・・・
「税金の滞納」・核爆
今ではありませんが、知ってる人は知っている・・・元・個人事業主でありまして・・・
その当時の滞納してた税金を、分割で払ってた・・・そういう事情がありまして・・・
そんなヤツが、「ゴルフ」なんか、してる場合じゃねぇ・・・と、言われればそうな訳でして・・・
なので、あまり「住んでる地域」や「特定されやすい内容」などは、聊か問題が・・・
だったのに、何度か注意したのに・・・でした。
話は戻って・・・
俺は、某県のK学院大学と言う大学の出身です。
はっきり言って・・・三流?四流?・・・いや五流?の大学です。
場所がいい、それだけで選んだ大学で、受けるまで名前も知りませんでした^^;
そして、「推薦」ってんだから・・・知らないとは恐ろしい事ですね。
当時の高校は・・・まあまあの公立の進学校でしたが・・・
死んだおふくろさん曰く・・・「お前は尻下がり」だそうで・・・
最初はそこそこの成績だが・・・どんどん下がってくる・・・事実でした。
中学でも、「もう一つ上の学校を・・・」と担任に言われましたが・・・
そうなんです、ボチボチ勉強は出来たんです・・・田舎なりに。
がしかし、「いえ、ここでいいです」と選んだ高校で・・・
入学後から・・・バカ丸出しで遊びました。
恵まれてたのは・・・学校自体で「上下関係」がないような学校なのに・・・
更に、入った部活「ハンドボール部」は、その年、3年生は2名、2年生は1名・・・
試合には、他の部活の生徒を借りて出ているような状況で・・・
これなら、3ヶ月(3年生が引退するまで)辛抱すれば・・・と・笑
が、俺と同じような考えじゃないだろうが・・・その年は8名の1年生が入部。
あとから分かった事だが・・・顧問の先生は・・・学生時代「ナショナルチーム」にいた・・・
業界では有名な人で・・・しかも、厳しい。。。
そうとは知らず・・・入部第一号が俺で、その後入ってくる同級生に・・・
この時点で、先輩っぽく接する・・・優遇されておりまして・・・
4月に入って5月の試合にすぐに出して貰える・・・と言う・・・当初の狙いの通り・・・
上級生にいじめられるというのは、まったく経験せずに済みました。
唯一の誤算は・・・3年生が引退し、「天下だな」とほくそ笑む・・・そう、1名居た2年生は・・・
優等生を絵に描いたような真面目な人で、進学先も「関西の超有名私立」でしたので・・・
勉強も出来る人でした。
なので、下級生に威張る事もなく・・・でしたが、珍しく8名も入部した事に気を良くしたのか・・・
元々、プレーヤーとしても一流の顧問が、よせばいいのに「やる気」を出し始め・・・
「夏休みは合宿だ」と・・・言い出す。
これは、諸般の事情・・・書く事を憚れ得る事情が起こり・・・なくなるのだが・・・
そして、顧問のやる気も、一緒に消滅するのだが・・・
それでも、対外試合で勝てないチームが、1年生大会(当時はそんなのもありました)で・・・
1回勝ち・・・翌年の新人戦では・・・2回も勝ち・・・と、まあまあ真面目にやってました。
が・・・
生活がだらしない・・・ってか、遊びに神経が向いている・・・更には・・・身長が高かったので・・・
キーパーにされる・・・つまらない・・・点を取る事はなく・・・取られれば気分が悪い・・・
などなど、言い訳満載ですが・・・
ちなみに・・・キーパーでしたが、公式戦で2点取ってます。
最近は知りませんが、キーパーシュートと言いまして・・・
相手のシュートを止めて、前に出ている相手キーパーが戻る一瞬のスキに・・・
ほぼ、自陣ゴールから相手ゴールでシュートを打つ・・・
ちなみにゴール間の距離は40m・・・気持ちは最高です^^
昔から肩は良い方で・・・中学時代は野球部でピッチャー(当然補欠ね^^;)でしたから・・・
少しは自信もあり・・・ちなみに、当時は「ハンドボール投げ」という、体力測定の種目がありましたが・・・
あれで使用するのは、「女子のボール」で、男子ボールは一回り大きく、よって投げズライ。
だいたい、男子の平均が30mか、もうちょっとくらいで、野球部の奴らでも「持ちズライ」からなのか・・・
40mはいかないようでしたが・・・
俺は、50m。サッカーで言えばハーフラインくらいまで投げられました。
計測の線が足りなく、いつも巻尺で実測でしたから、そうなのでしょう。
が、そんなのは、県大会とかいけば、キーパーやってるやつなんて「当たり前」でしたけどね^^;
などなど、それなりに楽しんでおりましたが・・・
そんな時、交通事故にあう。車にはねられ・・・ボンネットに乗り・・・
「車がぶつかるのは、ドラマと同じ音がする」なんて、バカ丸出しで・・・
持病の腰痛は・・・それ以来となり・・・かかりつけの医者は・・・
今でも一緒ってんだから・・・あの医者も相当な年になったなwww
それから・・・部活も出来ず・・・悪友の家に入り浸るようになり・・・
そして・・・バンドを組む・大笑
今は、ヘヴィメタとかいうのでしょうが、当時は「ハードロック」
キッズ、バンヘイレン、ディープパープルなどが有名でしょうが・・・
俺らがやってたのは「和製ハードロック」。今で言えば「Xジャパン」などの先駆け・・・
そういうバンドが結構出てきて・・・一番嵌ったのが「野獣(のけものと読みます)」。
その、野獣のボーカル「エース」とは、30年のときを超えて今では友人関係になり・・・
いまや、年一で一緒に演奏するという、信じられない事が・・・奇跡は起こるんですねぇ。
今では、ヨシキがお化粧してますが、それも当たり前のようになりましたが・・・
キッズもメークしてましたが・・・
バンドがメイクを初めてした、と言われるのが「野獣」でして・・・出てくるのが早すぎた・・・
と言われたものです。
なので、学園祭では「俺らもメイク」www
卒業アルバムにも載ってますが・・・頑張ってましたね^^;
2年生の時には、生徒会副会長もやり・・・
先生と大喧嘩もし・・・本業では泣かず飛ばずの人生も・・・
それ以外では結構充実しており・・・そろそろ進学・・・も、あまり真剣に考えず・・・
「そうだ、これからはサーファーだ!」と・・・
学校は海の近く・・・それで、入れそうはところを探そう・・・と・・・
勉強して進学、とかは、まったく考えず・・・「はいれそうなとこ」って事で・・・
このあたりも、母親の言うとおりでして。
色々調べてたら・・・「あるじゃないの、いいとこが」って事で・・・
K学院大学。学部は・・・え~~っと、なんでもいいが、唯一の得意科目は社会科なので・・・
経済か、経営あたりで・・・経済のほうがなんかカッコよくね?ってことで・・・
公募制推薦というもので、12月に受験。この推薦は、よくわからないのだが・・・
競争率20倍って、そんな推薦あるの???
そして、同じ高校から2名受験。ま、ダメだろ、どうせ。
ってか、本当の志望は「日大芸術学部・放送学科」。
実は、それが唯一の「志望らしきもの」で、要は「TV局で働きたい」というもの。
当時、「放送学科」を設置していた大学は、日大と世良正則さんで有名になった?
大阪芸大のみ。
大阪芸大なら大丈夫だろうと・・・担任には言われてたが・・・
母親の「遠いからダメ」の一言で却下。
自分の子供の進学先を「距離で決める」あたり・・・この親にしてこの子アリ?^^;
余談だが・・・高校3年間・・・同じ担任でした・・・ワタクシ。
「お前は3年間俺がメンドウ見る」と、男気あふれる?・・・
国語教師、あだ名は「ハチマン先生」。
理由は、マンガ「侍ジャイアンツ」に出てくる、キャッチャー「はちまん」に似てたから。
そして、先生にそういわれるほどの・・・一年生から「問題児」だったってことです^^;
話は戻って。そんな問題児ですから、俺が受かるわけがない・・・
と、友人・先生・・・そして両親まで・・・だったのですが・・・
奇跡は起きるんですねぇ。
一緒に受けたのが、同級生としては、「俺より出来る」と評判の女子高生。
家柄も良く、成績も・・・と、言われてました。あくまでも「言われて」ました。
が・・・大方の予想を裏切って?・・・その子は「落ちて」しまった。
世の中とはそんなもので・・・今まで「俺のほうがバカ」と言う目で見ていた周囲が・・・
微妙に変化したのを・・・今でも覚えております・大笑
その結果・・・
元から勉強しない俺は、簡単に妥協し・・・「どうせ日大芸術はダメでしょ」と・・・
年内に勉強は終了。
やりたかった「TV局」をあっさり諦め・・・まだ受験は残ってるのに・・・
気分は既に「海・そしてサーフィン」へ。
この時代・・・
第二期のサーフィンブームの当来で・・・「おかサーファー」なる言葉が出来た次代。
ビーチボーイズがリバイバルでヒットしたり、ディスコもBBなどのサーファー系が出来たり・・・
暴走族が、引退して波乗りを始めたりと・・・楽しい時代が幕を開けました^^
そして俺は・・・めだたく・・・家を抜け出し・・・
「横浜」へ・・・
とにかく・・・
田舎モノには、見るもの全てが「輝いて」見える、港・横浜。
叔父さんが、横須賀におりましたので、初めてじゃありませんでしたが・・・
とにかく「横浜」。
神戸と並んで、住みたい街ランキングの常連、異国情緒溢れる「横浜」ですから^^
ちなみに、学校は・・・
金沢八景という・・・今でこそ「八景島」で有名になったようですが、当時はなく・・・
そして、横浜と言っても「最南端」。隣の駅は「横須賀市」の「追浜」・・・
日産の大きな工場があるところで・・・
横浜のイメージはほぼない・・・横浜の中では「田舎町」でした。
そんな大学時代は・・・
機会があれば、また今度。
