てっきり「無罪判決」と思っていたが、元秘書3人は全員が有罪であった。判決を検証してみると、従来の裁判で考えられていた常識と大分違うことが分かった。例えば「疑わしきは被告の有利」であったが、「疑われることが被告の不利」となった。疑わしい状況があれば、実証されなくても証拠を「推認」されるのだ。

  何しろ、この裁判では、検察の特捜部が違法な取調べをしたとして、東京地裁が被告3人の供述調書40通のうち20通の全部または一部を却下し、検察も自ら調書を取り下げる失態を犯していた。多くの専門家が、小沢側に有利になると見て、被告の2人は無罪、石川知裕衆院議員は無罪か重くても罰金刑と見ていた。

  なかでも驚いたのは、水谷建設からの裏献金1億円が裁判所により認定されたことだ。石川議員に渡されたという5千万円は、「私が渡した」という水谷建設の川村元社長の法廷証言があるだけで、石川と会ったことを裏付ける客観的な証拠はなかったのである。

  この裁判で扱われた政治資金規正法違反や贈収賄事件など「政治とカネ」の事件は、密室犯罪であるため、客観的証拠を得るのが困難で、疑わしいが立証できないのがほとんどである。今回、川村がカネを渡したことを法廷で証言したのを、改心による告白で、真実であると見られたのか。供述調書の証拠採用が大量に却下されたためか、法廷証言が重視されている。

  「疑わしい状況」があるのは、「疑わしい事実」があるからだというのが、この判決のようだ。客観的証拠がなくても状況証拠の積み重ねで犯罪のあったことを判断できると言うことのようだ。この手法が認められるのなら、「政治とカネ」の捜査で強力な手段になるだろう。

  有罪になった秘書の共犯として、東京第5検察審査会で強制起訴されているのが、小沢一郎民主党元代表だ。来月6日から、東京地裁で始まる小沢の裁判が注目されている。来年4月頃には一審判決が下りると言われている。小沢は無罪を信じており、来年9月の民主党代表選に挑戦する構えである。
  
  そもそも、検察が小沢の起訴を断念したのは、石川議員が「虚偽記載について小沢に報告して了承を得た」とする供述調書だけでは、小沢の共謀を立証するのが無理だと判断したからである。
  しかし検察審査会は、その石川調書により小沢を強制起訴しているのである。ところが裁判所は、その石川調書を「任意性がない」として証拠採用を却下したのである。検察審査会が強制起訴した根拠がなくなったから、小沢の無罪は当然と考えられた。だが、秘書が有罪になった裁判を見て小沢が無罪という考えに自信がなくなった。五分五分だとする意見が多いのである。

  東京地検は、「動機を含め、主張がほぼ認められた」(八木次席検事)と勝ち誇っているという。とにかく検察側の「完勝」であり、被告側の「完敗」である。もし無罪だったら、検察は取調べの失態を叩かれる。
  検察は「村木事件」の特捜検事を法廷で裁き、検察の体質改善を表明しているが、村木事件が蒸し返されて、「冤罪を作った」とマスコミから批判される。検察の致命傷になるかも知れない。「裁判所と検察が人事交流する『判検一体』が影響している」という見方があるが、裁判所は身内の検察を救ったのである。

  こんどの裁判には、裁判員制度が影響しているとの指摘がある。一般人がなる裁判員の社会通念上、証拠がなくても、誰が見てもおかしいことには犯罪があるはずである。状況証拠を証拠と「推認」したのは、裁判員的思考である。国民の常識である。
  水谷建設の1億円裏献金を公共工事の談合であるとして、「政治とカネ」の癒着として断罪したのは、それが国民的感覚だったからである。検察の正義も民主化したということであろうか。