内閣発足から9日、臨時国会の開かれる前に辞任した鉢呂経済産業大臣には、「なぜ、辞めたのか」とか「不可解な事件だ」という声が聞かれる。適材適所が問題になったが、野田首相の人選は間違っていたのか。マスコミのワナに嵌ったといわれる。なぜ、辞任に至ったのかを検証してみた。
15日の参院代表質問では、自民党の中曽根弘文が「鉢呂が被災者の心を踏みにじって辞任した。お世辞にも適材適所とはいえない」と首相の任命責任を追及した。野田首相は「任命責任は私にある。失われた信頼を取り戻すため、原発事故の収束、大震災の被災者支援にまい進する」と答弁した。(新聞の国会代表質問詳報から)
そもそも、野田内閣の組閣はグループ均衡と論功行賞の人事といわれ、適材適所より挙党態勢を優先にしたと党内でも評判がよくなかった。17人の閣僚のうち初入閣が10人を占め、民主党の平野国対委員長が「閣僚が十分に答弁ができない。不完全内閣だ」と告白したのには余り正直なので驚いた。このため首相の所信表明と各党代表質問だけの4日間の臨時国会を開いた。閣僚が野党質問に答弁する予算委員会の先延ばしを謀ったが、月末まで14日間の会期延長することになったが。
中曽根は「被災者の心を踏むにじった」と鉢呂の言動を言っているが、そうだろうか。8日、首相とともに、事故を起こした福島第一原発周辺の市街地を視察した。翌日の9日午前、経済産業省の定例記者会見で、前日の原発視察について、「市街地には人っ子ひとりいない、まさに『死の街』でございました」と述べている。記者会見では「死の街」発言が問題になった形跡はない。経済産業省の記者クラブから出稿された原稿を見たデスクが「死の街」の言葉に注目したようだ。
一方9日午後、官邸も鉢呂の「死の街」発言を知り、出張先の首相が指示して、鉢呂が発言を撤回し、「被災者に誤解を与える発言だった」と謝罪した。野田首相が訪問先の三重県で記者団の質問に「不穏当な発言だ。謝罪、訂正してほしい」と不快感を表明している。ただ、この段階では官邸は乗り切れると判断していた。
ところが9日夕方のフジテレビニュースが、「死の街」発言で謝罪した鉢呂大臣が8日夜にも、福島県の視察から戻った後の議員宿舎で、記者団に対して、防災服を擦り付ける仕草をしたり、「放射能をつけるぞ」と発言していたことが分かったことを放送した。マスコミの追い討ちである。小火を大火にしたのである。
翌日の新聞は、被災地の鉢呂を非難する声が満載され、野党各党は一斉に批判する声明を出し、民主党内でも「発言が事実なら由々しき問題だ」という大幹部も現れた。マスコミが「鉢呂が死の街と言っている」と福島の避難者へ取材に行けば鉢呂非難一色になるのは当たり前である。
民主党では、鉢呂は旧社会党出身者で唯一の閣僚であり「均衡人事」であったからだが、輿石幹事長が鉢呂更迭に反対した。首相の厳重注意で決着を図ることを考えていた。だから、鉢呂には辞任の気持は全くなかったようだ。10日午後、相模原市の工場を視察して「経済産業省がリーダーシップをとって行きたい」と抱負を述べている。
しかし、党内では執行部とは別に、「続投すればするだけ、ダメージが大きくなる。早く辞めたほうがいい」という考えが広がっていた。辞めないでいたら、臨時国会は冒頭から鉢呂攻撃一色になり、参院の問責まで行き、高い支持率でスタートした野田内閣が大火傷を負うことになった。
このような事態になったら、水面下で鉢呂に引導を渡す裏方がいるものだが、藤村官房長官も鉢呂から事情を聞くだけで動かず、結局、野田首相みずから、引導を渡すことになった。10日午後7時から首相に会った鉢呂は野田首相の決意が固いことを悟り、自ら辞表を出した。事実上の罷免である。
鉢呂辞任は、臨時国会が開かれる前である。鉢呂は国会で追及されて辞任したのではない。マスコミが鉢呂を辞任に追い込んだのである。「死者の街」発言と「放射能」言動が追及されたが、いずれか一方では大した問題にならなかったが、二つの複合で威力が大きくなったのである。
鉢呂は「死の街」発言について被災者の誤解を招いたと謝罪したが、真意ではあるまい。原発事故の先輩である旧ソ連のチェルノブイリ原発が25年経った現在も、周辺30キロ圏内で人が住めない、これから先も住めないという現実がある。そこは「死の町」と呼ばれている。原子力とか東電の関係者はひた隠しにしているが、鉢呂が見た人影がない市街地が「死の町」になるのは客観的事実である。
ただ鉢呂には、放射能に追われて避難している被災者たちの悲しみ、苦しみ、恨みに対する思いやりが欠けていたのではないか。「死の街」でなく「ゴーストタウン」なら問題なかったといわれているが。
鉢呂が着ていた防災服を擦りつける仕草をしたのはおふざけで、「放射能をつけるぞ」と言ったのも冗談だろう。防災服を着替えて背広姿ならなかったことだ。
午後11時すぎ、鉢呂の周りにいたのは、戻ってくるのを議員宿舎のロビーで待っていた大臣の番記者だ。毎日顔を会わせる番記者とは、お互いに分かり合うようになる。親しくなるためにお互いにふざけることもある。だが就任1週間では早すぎた。おふざけも冗談も通じなかったようだ。
このときは何事もなく終わっているから、記者たちは記事にするつもりはなかった。翌日、「死の街」発言が問題になってから、こんなこともあったと「放射能」の話が記事になったようだ。
民主党はマスコミに対する考えが甘い。新聞記者を味方と思っている議員もいる。鉢呂は番記者に全く用心していなかった。メディアは民主党が野党の時は大目に見たことも、政府になり与党になったら厳しくなるのだ。
10日午後9時50分すぎから経済産業省における鉢呂の記者会見をインターネットのニコニコニュースで見た。鉢呂は、「放射能」発言などの言動について、「被災地の大変厳しい状況を共有して欲しいという思いを込めたものであった」としか言わなかった。一部記者から「説明しろって言ってるんだ」と怒号を挙げたが、他社の記者が「記者は敬意をもって質問してください」とたしなめる言葉がさえぎった。
自由報道協会の記者から「『死の街』という表現がむしろ県民の思いに合うことでないのか。インターネットユーザーからは『辞める必要がない』という声が上がっている」という質問が出たが、鉢呂は「やはりあの言葉はいうべきでなかった。ただ、表現が見つからなかった」と述べた。
中曽根は「お世辞にも適材適所とはいえない」と言っているが、そうだろうろうか。内閣としては「ねじれ国会」だから、波風立てず会期を終わりたいのだから、その意味では不適であったが、閣僚として遜色のある人物ではない。北大農学部卒業、農協の職員から衆院初当選。旧社会党に入党。当選7回。63歳。衆院20年以上のベテランである。
橋本龍太郎の自社さ連立政権で大蔵政務次官。旧民主党の結党に参加。民主党幹事長代理、国対委員長、党副代表、衆院厚生労働委員長、民主党のヌクスト外務大臣など相当な経歴である。経済産業分野は初めてたが、野田内閣の中でキャリアでケチを付けられることはない。
ただ、過去にも北朝鮮が韓国を砲撃した事件では、「砲撃戦は民主党にとって神風だ」と発言。正副国対委員長会議で「野党の質問が低俗だから、答弁者は質問者の低劣さに合わせないと答えようがない」と発言。物議をかもしたことがある。
言ってみれば、発足早々の野田内閣を狙っていたマスコミのワナに嵌ったということだ。誰でもよかったのだ。一川防衛大臣の「安全保障は素人」発言の方が重大である。しかし鉢呂事件には話題性があった。庶民的だった。「原発」「放射能」「死の町」「被災者」「差別」「初入閣」「適材適所」「任命責任」「大臣」「オヤジ狩り」。マスコミにとって材料がよかったのである。
15日の参院代表質問では、自民党の中曽根弘文が「鉢呂が被災者の心を踏みにじって辞任した。お世辞にも適材適所とはいえない」と首相の任命責任を追及した。野田首相は「任命責任は私にある。失われた信頼を取り戻すため、原発事故の収束、大震災の被災者支援にまい進する」と答弁した。(新聞の国会代表質問詳報から)
そもそも、野田内閣の組閣はグループ均衡と論功行賞の人事といわれ、適材適所より挙党態勢を優先にしたと党内でも評判がよくなかった。17人の閣僚のうち初入閣が10人を占め、民主党の平野国対委員長が「閣僚が十分に答弁ができない。不完全内閣だ」と告白したのには余り正直なので驚いた。このため首相の所信表明と各党代表質問だけの4日間の臨時国会を開いた。閣僚が野党質問に答弁する予算委員会の先延ばしを謀ったが、月末まで14日間の会期延長することになったが。
中曽根は「被災者の心を踏むにじった」と鉢呂の言動を言っているが、そうだろうか。8日、首相とともに、事故を起こした福島第一原発周辺の市街地を視察した。翌日の9日午前、経済産業省の定例記者会見で、前日の原発視察について、「市街地には人っ子ひとりいない、まさに『死の街』でございました」と述べている。記者会見では「死の街」発言が問題になった形跡はない。経済産業省の記者クラブから出稿された原稿を見たデスクが「死の街」の言葉に注目したようだ。
一方9日午後、官邸も鉢呂の「死の街」発言を知り、出張先の首相が指示して、鉢呂が発言を撤回し、「被災者に誤解を与える発言だった」と謝罪した。野田首相が訪問先の三重県で記者団の質問に「不穏当な発言だ。謝罪、訂正してほしい」と不快感を表明している。ただ、この段階では官邸は乗り切れると判断していた。
ところが9日夕方のフジテレビニュースが、「死の街」発言で謝罪した鉢呂大臣が8日夜にも、福島県の視察から戻った後の議員宿舎で、記者団に対して、防災服を擦り付ける仕草をしたり、「放射能をつけるぞ」と発言していたことが分かったことを放送した。マスコミの追い討ちである。小火を大火にしたのである。
翌日の新聞は、被災地の鉢呂を非難する声が満載され、野党各党は一斉に批判する声明を出し、民主党内でも「発言が事実なら由々しき問題だ」という大幹部も現れた。マスコミが「鉢呂が死の街と言っている」と福島の避難者へ取材に行けば鉢呂非難一色になるのは当たり前である。
民主党では、鉢呂は旧社会党出身者で唯一の閣僚であり「均衡人事」であったからだが、輿石幹事長が鉢呂更迭に反対した。首相の厳重注意で決着を図ることを考えていた。だから、鉢呂には辞任の気持は全くなかったようだ。10日午後、相模原市の工場を視察して「経済産業省がリーダーシップをとって行きたい」と抱負を述べている。
しかし、党内では執行部とは別に、「続投すればするだけ、ダメージが大きくなる。早く辞めたほうがいい」という考えが広がっていた。辞めないでいたら、臨時国会は冒頭から鉢呂攻撃一色になり、参院の問責まで行き、高い支持率でスタートした野田内閣が大火傷を負うことになった。
このような事態になったら、水面下で鉢呂に引導を渡す裏方がいるものだが、藤村官房長官も鉢呂から事情を聞くだけで動かず、結局、野田首相みずから、引導を渡すことになった。10日午後7時から首相に会った鉢呂は野田首相の決意が固いことを悟り、自ら辞表を出した。事実上の罷免である。
鉢呂辞任は、臨時国会が開かれる前である。鉢呂は国会で追及されて辞任したのではない。マスコミが鉢呂を辞任に追い込んだのである。「死者の街」発言と「放射能」言動が追及されたが、いずれか一方では大した問題にならなかったが、二つの複合で威力が大きくなったのである。
鉢呂は「死の街」発言について被災者の誤解を招いたと謝罪したが、真意ではあるまい。原発事故の先輩である旧ソ連のチェルノブイリ原発が25年経った現在も、周辺30キロ圏内で人が住めない、これから先も住めないという現実がある。そこは「死の町」と呼ばれている。原子力とか東電の関係者はひた隠しにしているが、鉢呂が見た人影がない市街地が「死の町」になるのは客観的事実である。
ただ鉢呂には、放射能に追われて避難している被災者たちの悲しみ、苦しみ、恨みに対する思いやりが欠けていたのではないか。「死の街」でなく「ゴーストタウン」なら問題なかったといわれているが。
鉢呂が着ていた防災服を擦りつける仕草をしたのはおふざけで、「放射能をつけるぞ」と言ったのも冗談だろう。防災服を着替えて背広姿ならなかったことだ。
午後11時すぎ、鉢呂の周りにいたのは、戻ってくるのを議員宿舎のロビーで待っていた大臣の番記者だ。毎日顔を会わせる番記者とは、お互いに分かり合うようになる。親しくなるためにお互いにふざけることもある。だが就任1週間では早すぎた。おふざけも冗談も通じなかったようだ。
このときは何事もなく終わっているから、記者たちは記事にするつもりはなかった。翌日、「死の街」発言が問題になってから、こんなこともあったと「放射能」の話が記事になったようだ。
民主党はマスコミに対する考えが甘い。新聞記者を味方と思っている議員もいる。鉢呂は番記者に全く用心していなかった。メディアは民主党が野党の時は大目に見たことも、政府になり与党になったら厳しくなるのだ。
10日午後9時50分すぎから経済産業省における鉢呂の記者会見をインターネットのニコニコニュースで見た。鉢呂は、「放射能」発言などの言動について、「被災地の大変厳しい状況を共有して欲しいという思いを込めたものであった」としか言わなかった。一部記者から「説明しろって言ってるんだ」と怒号を挙げたが、他社の記者が「記者は敬意をもって質問してください」とたしなめる言葉がさえぎった。
自由報道協会の記者から「『死の街』という表現がむしろ県民の思いに合うことでないのか。インターネットユーザーからは『辞める必要がない』という声が上がっている」という質問が出たが、鉢呂は「やはりあの言葉はいうべきでなかった。ただ、表現が見つからなかった」と述べた。
中曽根は「お世辞にも適材適所とはいえない」と言っているが、そうだろうろうか。内閣としては「ねじれ国会」だから、波風立てず会期を終わりたいのだから、その意味では不適であったが、閣僚として遜色のある人物ではない。北大農学部卒業、農協の職員から衆院初当選。旧社会党に入党。当選7回。63歳。衆院20年以上のベテランである。
橋本龍太郎の自社さ連立政権で大蔵政務次官。旧民主党の結党に参加。民主党幹事長代理、国対委員長、党副代表、衆院厚生労働委員長、民主党のヌクスト外務大臣など相当な経歴である。経済産業分野は初めてたが、野田内閣の中でキャリアでケチを付けられることはない。
ただ、過去にも北朝鮮が韓国を砲撃した事件では、「砲撃戦は民主党にとって神風だ」と発言。正副国対委員長会議で「野党の質問が低俗だから、答弁者は質問者の低劣さに合わせないと答えようがない」と発言。物議をかもしたことがある。
言ってみれば、発足早々の野田内閣を狙っていたマスコミのワナに嵌ったということだ。誰でもよかったのだ。一川防衛大臣の「安全保障は素人」発言の方が重大である。しかし鉢呂事件には話題性があった。庶民的だった。「原発」「放射能」「死の町」「被災者」「差別」「初入閣」「適材適所」「任命責任」「大臣」「オヤジ狩り」。マスコミにとって材料がよかったのである。