<鳩山の迷走>
◆社民党の政権離脱、内閣支持率10%台への落ち込みー米軍普天間基地移設問題は鳩山内閣にとって、瀕死に近い痛手を負う決着であった。政権発足以来、同問題では迷走につぐ迷走を重ねる鳩山首相だった。沖縄県民が被る危険性の除去と負担の軽減を念頭に「国外、少なくとも県外」への基地移転を構想した鳩山首相の発想は、主権国家として国民の安寧と生命を保護する政府の対応として、咎められるべき性格の話ではなかった。過去の歴代自民党政権では俎上にも載らなかった。その意味で鳩山首相の言を称揚して、少なくても連立与党内や沖縄県当局、関係市町村が知恵を絞り、その実現の方途をさまざまな角度から探る動きが起きてしかるべきであった。
 ところが、のっけから鳩山首相を待ち構えていたのは、岡田克也外相、北澤俊美防衛相の両担当閣僚が首相構想への消極姿勢を早々に言明するなど、閣内の足並みの乱れであった。首相の足元を見た民主党、自民党にまたがる日米同盟維持派の巻き返しと外務・防衛両省の日米同盟官僚のサボタージュが追い討ち。さらに大手メディアの鳩山構想に対する冷笑的な報道・論評であった。沖縄県内で盛り上がった世論ほどに、本土世論が「普天間返還」で高揚を見ていない一因でもあろう。そして、右派メディアによる鳩山首相本人や首相の一部ブレーンに対する「反米派」キャンペーンであった。

<鳩山を救わぬ小沢>
◆奇妙なのは普天間問題に対する小沢一郎民主党幹事長の沈黙であった。同問題で追い詰められる鳩山首相は、この間、幾度となく小沢幹事長に相談を持ちかけた。小沢氏は「政府サイドが考えること。口出しはしない」とそっけない対応に終始した。民主党権力を事実上差配する小沢氏は、窮地に陥る首相に救いのロープを投げることさえしなかった。
なぜなのか。小沢氏周辺が、既定の「日米合意」で移設候補地とされた沖縄県内に土地を購入しているなどという話とはかかわりはない。豪腕・小沢一郎にして、日本政治の権力を掌握し、その円滑な行使のために米政権との協調が不可欠の条件であると熟知するからだ。
湾岸戦争当時、自民党にあった小沢氏は、現憲法下で自衛隊の海外派遣、海外での武器使用ができる、との憲法解釈、自民党小沢調査会(国際社会における役割に関する特別調査会報告書1992年2月)を編み出した。一重にアメリカの対日要請に応えるためであった。特異な小沢憲法論は、その後の新生党、新進党、自由党、民主党と政党遍歴を重ねたにもかかわらず、変えられていない。政府の憲法解釈変更の壁になっている内閣法制局長官を国会答弁者か除く内容を盛り込む国会法改正案が、この通常国会に提出されている。小沢幹事長の強い意向が働いている。
過去に同盟関係に軍事的なものは含まれないと言明して総理の座を退いた首相もいた。小沢氏は政治権力を握った際の、同盟の盟主である米政権との間合いの取り方を体験的にも熟知している。昨年12月の140人余の衆参国会議員を引き連れた訪中がしばしば対中朝貢外交と右派メディアから批判の的にされる。周到な小沢氏は、小沢調査会報告書のとりまとめたのと、ほぼ同時期に財団法人ジョン万次郎・ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(1992年設立)をつくり、日米間の友好交流事業の足場を築いている。側近には元ニューズウィーク日本版編集長の経歴を持つ人物を置いた。小沢氏の政治思想書として知られる『日本改造計画』(1993年刊)は、当時、アメリカで席巻しつつあった新自由主義を唱導する内容であった。
小沢の米国観にたてば、普天間基地撤去論にもつながる鳩山構想は相容れない。その成功は民主党政権である限り、不可能に近いと踏んだ、小沢氏の沈黙ではなかったか。

<ジム・フォスターという存在>
◆ジェームズ(ジム)・フォスター。小沢ウォッチャーには記憶に残る名前が、最近、東京の日米ビジネス社会で聞かれる。マイクロソフト社業務執行役員・政策企画本部長の肩書きで、同社約10人ほどの渉外チームのチーフとして霞ヶ関、永田町を歩いている人物である。
ジム・フォスター氏は1980~90年代に駐日米大使館に勤務し、経済担当公使として日米経済交渉に携わった。2004~06年は国務省朝鮮部長として「6カ国協議」を担当した。90年を前後する時期以来、小沢氏は、フォスター氏とごく親しい関係を築いている。現在も、折に触れて、フォスター氏を招き、小沢氏は、最新のワシントン情報を得ている。フォスター氏は、小沢氏にとって、米政権の機微に触れる情報を取得源の1人なのである。普天間問題をめぐる鳩山首相の迷走をよそに、小沢氏は、独自の米国情報を得て、アメリカの信頼感を決定的に失わないとの動機をもとに、独自の対応をしている、というわけである。