お読みいただきまして、ありがとうございます!

今回は自分で自分のことを書くという事で、ちょっと照れくさい感じですね(苦笑)

 

私という人物像を少しでもご理解頂いた方が、より親しみを感じていただけるのではないかと思い書かせて頂いております。

 

親しみも感じられない人の言う事に耳を傾けたいとは思いませんからね。


 

2005年の4月に創作花屋花の音というサイトを立ち上げました。

 

それまで私は一切お花とは無縁の仕事をしていましたし、花より団子を地でいくような男です。(それは今でも変わってないですが…)

 

お花の世界に足を踏み入れるとは家族も親戚縁者・友人に至るまで、誰一人として思ってもみなかった事と思います。

 

大学を卒業してから、主に広告関係の仕事の営業職を勤めてきました。若気のいたりで色々とフラフラしていた時期もありました。

 

30歳を過ぎて実家の家業を手伝う事になり、自分の今までの経験を生かして、新たな風を吹き込む事が出来たらと思っていましたが、そう甘くもなく、田舎での家業を継ぐことが将来性のある事とも思えず、家業を諦める事になりました。

 

とはいえ、父は昔から「オーナーになれ!」と言う人で、その感覚がいつの間にか擦り込まれていたのか、何か自分で開業できないかと模索する様になりました。

このご時世、ネットを使った仕事をするしかない!とそれだけは心に決めていました。

 

何かイイ商材はないか…

 

そんな事を日々考えている時に、花屋に勤めていた妻の幼馴染が独立したいと願望を持っているという事で、現場は彼女に任せ私がネットで販売をするのはどうか?と早速調査を開始しました。

 

お花業界を調べていくと、ネット販売という分野では全く成熟しておらず、業界的にはどちらかと言うと昔ながらを大切にする封建的なイメージで、これなら勝負になるんじゃないかと今思えば無謀にも思えたものでした。

 

結局は、妻と幼馴染の親御さんから一緒に経営をするという事を反対され、各々が独立してタイアップする形で進めていこうという事になりました。

 

ですから、最初は生花を中心とした花屋でした。

 

少しずつオーダーを頂きつつも、一番のネックは生物(ナマモノ)を扱うという点においてでした。

 

ネットで販売するという事は日本全国がマーケットとなります。その分発送業務が主力になります。

 

ナマモノを発送するリスクが予想以上に重くのしかかり、どうにかしなければ明日はないという状況下で登場したのがプリザーブドフラワーでした。


「これだ!」

 

根拠もない確信が自分の中で生まれました。

 

自分にとっては、今までの活動を継続しつつ、今抱えているリスクを回避できる魔法のようなお花の登場だった訳です。


世間ではまだまだ認知もされていない所からのスタートになりますが、手垢がついていない分だけ、やり甲斐も多く、販売するという事以上に存在を認めてもらう事を主観に活動を始めました。

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自分の事を書くとなると、最初は気恥ずかしさを感じていましたが、思いが入り過ぎちゃって、どうしても長くなってしまいますね。

これでは読む方も疲れてしまいますよね。


今回は「花の事を知らない私が花屋を始めたきっかけとプリザーブドフラワーとの出会い」までとさせて頂きます。

長々とお読みいただきまして、ありがとうございました!

 

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翌日更新したこの続き(その2)を読みたい方は→コチラ