海老沼 志朗 さん
(外資系金融会社・営業)
1974年 東京都杉並区に生まれる
小・中学校の時はサッカーに没頭し、寝食を惜しんで練習に励む。
サッカーの名門“国学院大学久我山高校”にサッカー推薦で入学。
中3の春の遠征で大けがをするも、高校1年生の秋から試合復帰し、レギュラーの座を獲得。
3年間フォワードとしてチームを引っ張り、東京都ベスト8進出に貢献。
1993年 帝京大学法学部法律学科に入学
時期を同じくして父の会社が倒産し、当初サッカー部入部を検討していたが、
実家の経済事情を鑑み、体育会ではなくサークルでサッカーを続ける道を選ぶ。
大学時代は写真を撮ることも趣味の一つで、写真好きが高じ、卒業後は某カメラ会社に入社。
富山県にて1年間の店舗業務に従事した後、
ワールドカップ予選のテレビ観戦をきっかけに、サッカーへの情熱が再燃する。
富山でサッカーチームを作ろうと思っていた矢先、東京でサッカーコーチをやっている仲間に誘われ、東京に戻る事を決意。
1998年 東京にてサッカーコーチとして再スタートを切る。
ヴェルディの小・中高生のクラブチームのコーチやサッカースクールの講師に着任。
ナイキ・プレミアムカップ 世界大会第2位、U-15高円宮杯全国大会 準優勝などの実績を残す。
2006年 父がアルツハイマー型認知症を患う。
次いで、2008年に、父を介護していた母が脳梗塞で倒れ、半身不随に。
母が脳梗塞で倒れた際に、経済的ピンチを救ってくれた生命保険に興味を持ち、万が一、誰かが自分と同じような状況に陥ってしまった時に、その人が困らないよう全力でサポートしてあげることが自分の使命だと思うようになった。自分の信念と経営理念がピッタリ合致する現在の会社に入社し、「人の役に立つ」という理想の仕事ができていることに、日々喜びを感じている。
今までの日常が急変し、「介護が必要な両親と結婚を約束した恋人を経済的に支えるのは自分しかいない」という使命感から、成績が報酬に反映されないサッカーコーチの仕事を辞め、転職する事を決意。転職先として真っ先に選んだのが、生命保険業界。