サッカーのプロコーチから一転、外資系金融会社へ 海老沼志朗さん | スピリチュアル的ビジネス未来浴~「魂の喜び」と「経済的な自由」を同時に手に入れる~

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リサ(以後、R): 海老沼さんは現在、営業のお仕事をされてるわけですが、どんな子供時代を過ごされたんですか?



海老沼(以後、E): サッカー一色の子供時代でしたね。5歳上の兄がいまして、兄の影響でサッカーを始めたんです。「サッカーでは誰にも負けたくない!」という負けず嫌いな子で。中学生の時には「絶対プロサッカー選手になれる!」と本気で思っていて、そのために今何をすべきか?ということばかり考えてトレーニングしていました。



R:では高校でももちろんサッカーを?



E:そうです。サッカー推薦で国学院大学久我山高校に入学しました。高校サッカーは、自分の目指していたステージだったので「自分の命はここで使い果たす!」と思っていましたね。そこから先は自分には何もないと思ってましたから(笑)


R
: すごい情熱ですね。では、高校時代はサッカーにまつわる思い出がたくさんあるかと思いますが、一番印象に残っている出来事を教えて頂けますか?



E:うーん、いくつもあるんだけど、嬉しかった出来事でいうと、高校1年生から2年生になる春休みの大会で、キャプテン翼のツバサくんさながらのドライブシュートを決めた時のことですかね。



R:あの有名なキャプテン翼のドライブシュートですか??




E:仲の良かったキーパーと毎日朝練をして、ツバサくんのドライブシュートを本気で練習していたんです。そしたら、春休みの大会の決勝戦で、前橋商業という強豪が相手だったんですけど、練習通りのドライブシュートが見事に決まって。試合に勝って、優勝することができた時は、すごくうれしい瞬間でした。



R:では、その時のことを思い出して頂けますか?





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3月の肌寒い曇り空の日。レギュラー出場している海老沼さんはグラウンドを全力で走っています。視界には一人の先輩が見えます。先輩はマークにつかれていて、相手を背後に背負いながらボールをコントロールしています。海老沼さんはフリーランニングで走っていて、先輩とアイコンタクトを取りながら、「出して!」と叫び、自分の欲しいスペースに向かって全力で走っていきます。土のグラウンドを走るスパイクの音や敵チームのディフェンスの「戻れ!」という声は、集中している海老沼さんにはほとんど聞こえていません。そんな中、「エビ!」と先輩の声が聞こえた気がした直後、海老沼さんの目の前に、練習の時とまったく同じ場所にボールがきました。そのボールを、練習通りに思いっきり蹴ると、見事なドライブがかかったイメージ通りのシュートが決まりました。

「しゃーーーっ!」と声をあげ、両手を広げて全身で喜びを露わにしている海老沼さんの元に、同じく嬉しそうな顔をしたチームメイト達が寄ってたかって抱きついてきて、「エビ!」「おい、エビ!」と何度も何度も海老沼さんの名前を呼んでいました。

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R:そして、大学進学され、卒業後は、サッカー関係のお仕事をされていたんですよね?



E:はい。クラブチームやサッカースクールでコーチをしていましたね。



R:そうなんですね。では、サッカーコーチをしている時に一番うれしかったことはなんですか?



E:ヴェルディというクラブチームの中学3年生のコーチを担当していた時のことですね。最初は、その子たちは成績が良くなく、全然期待されていなかったんです。それが、1年間ですごい変化を遂げ、NIKEプレミア世界大会という中学生のワールドカップのような大会で世界2位になり、U-15高円宮杯全国大会でも決勝まで勝ち進んで、国立競技場で横浜マリノスと対戦しました。惜しくも優勝は逃してしまったんですが、夢だった国立競技場に立てた感動や、そこで得た経験が自分のコーチ人生の根幹になりましたね。



R:それはすごい経験ですね。では、その国立競技場での決勝戦の時のことを思い出して頂けますか?



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季節は冬。寒いロッカールームで海老沼さんはソワソワしています。

子供たちも緊張を隠そうと、つとめていつも通りの雰囲気を作ろうとしています。

グラウンドに出てみると、天気は晴天。青い芝生のピッチが見えます。

「これが国立かぁ~」と、夢だった国立競技場に、コーチとして立てている喜びを実感する海老沼さん。メインスタンドには観客も入っています。試合が始まり、1年前には全然期待されていなかった子供たちが、たくさんの困難を乗り越え、今、まさに国立競技場という大舞台で大健闘しています。

しかし、一度もゴールを決められないまま、試合終了の合図が鳴りました。

子供たちは、その場に倒れこんで涙を流しています。選手、コーチ、スタッフもみんな涙を流しています。

しかし、不思議とそこには汚れたものは一切なく、海老沼さんは、「よかったなぁ」と感じています。こんなところまで連れてきてもらって、一緒に戦えて、家族のような絆を持つことができて、この子たちは、僕になんて素晴らしい経験をさせてくれたんだろう・・・「ありがとな!」という感謝の気持ちで満ち溢れていました。



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R:素敵な思い出ですね。そして、サッカーコーチから一転、現在の保険業界に転職されたわけですが、キッカケは何だったんですか?



E:実は6年前、父がアルツハイマー型認知症を患い、母が中心となって介護をしていたのですが、それから2年後、母が脳梗塞で倒れてしまったんです。なんとか一命はとりとめたものの、担当医師からは「以前と同じ生活はできないから覚悟してください」と言われ、母の健康を案じる気持ちと同時に、今後の治療費や通院費など、いろんなことにかかるであろう『お金』についての不安が僕にのしかかってきました。その時に、母が入っていた『生命保険』が僕を助ってくれたんです。生命保険とは、こんなに人生で究極的に困った時、人を経済的に助けることができるものなのか、と母が生命保険に入っていてくれたことに深く感謝すると同時に、生命保険に強い関心を持ったんです。



R:そうだったんですか。大変なご経験の中から思いがけないキッカケを見つけられたんですね。



E:そうですね。それ以来、僕はこの生命保険というものに、心から惚れ込んでるんです。



R:では、今度は海老沼さんの未来についてお聞きします。将来、こうなっていたいなと思う自分をイメージして頂けますか?



E:人様の役に立ちたい。自分が関わった人がハッピーで元気でいてほしいし、仲間の成功に役立てる人間になっていたいです。



R:それは仕事としてですか?

E:うーん、仕事を超えてですね。仕事としては、金融に関する様々な資格をとって、総合的にアドバイスができる金融のプロになることが目標なんです。なので、金融に関することなら的確なアドバイスができると思うのですが、もしそれ以外のことで困っている人がいたら、自分が知っているプロフェッショナルたちを紹介して問題を解決してあげる、そんな人と人を繋げるネットワークができたらいいなと思っています。



R:いいですね。では、そうなれた海老沼さんをイメージして頂けますか?



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金融のプロとして活躍している海老沼さんは、仕事を終えて、自宅でテレビを見ながら、奥さんと夜ご飯を食べています。

そこに、ある男性から電話がかかってきました。「海老沼さん、この前○○さん紹介してもらってほんとよかったです!今度飲み行きましょうよ!」と嬉しそうに言っています。「あ~、よかったよかった。じゃあまた飯でも食べ行きましょう。」と海老沼さんも喜んでいます。

しばらくすると、メールが来ました。今度は女性からです。

「海老沼さん、この前、お話し聞いておいてよかったです。自分がどうすべきか問題解決できました。また、相談乗ってくださいね♪こんどは、男心についても、教えてくださーい♡」

と、金融の相談にも乗りつつ、それ以外の相談もざっくばらんにできるような存在の海老沼さんは、

「あ~、よかった。オレ、役に立ってるなぁ。」と感じています。

奥さんは何も言わずに、見守ってくれています。仕事もプライベートもとても充実した海老沼さんは幸せな40歳になっていました。



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幸せな40歳の海老沼さんから、そこに行くためのヒントをもらった37歳の海老沼さんは、清々しいオーラを放ちながらお帰りになりました。