産まれてくることの尊さを知る セシボンなおしゃれママ あべ葉子さん | スピリチュアル的ビジネス未来浴~「魂の喜び」と「経済的な自由」を同時に手に入れる~

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リサ(以後、R): あべさんは現在、龍生くん(りゅうせいくん 2歳)の育児をがんばっているわけですが、あべさんご自身はどんな子供時代だったのでしょうか?

あべ(以後、A): 自然の多い場所でかなり自由に遊んでたような気がします。調布市の深大寺という場所で育ったんですけど、小学校がお寺の隣りにあったので、学校帰りはお寺のお坊さんの所に行ってお菓子をもらって帰ってたりしていました(笑)。


R: じゃあかなり活発なお子さんだったんですね。


A: そうだったかも知れないです。小学校から高校まで代表委員をやってましたし、小学生時代肩にタスキをかけて選挙活動をしたりもしてました。


R: そんな風に見えないので意外です。


A: そうなんです。それで、中学からは私立に入ったんですけど、中・高はずっとブラスバンドに明け暮れていましたね。かなり練習の厳しい部だったんですけど、結局6年間続けて、学校では皆勤賞も獲りました。


R: すごい。皆勤賞ですか。そして、高校卒業後は?

A: 付属の短大に行きました。そして、卒業後に某生命保険会社に就職し、営業職に就いたんです。


R: 生保の営業ということは、かなりキツかったんじゃないですか?

A: そうですね。かなり衝撃でした。初めての社会経験ですし、四谷や麹町のビルを上から1階ずつ飛び込みで回って、1日最低10人の名前と生年月日を聞く、というのがノルマでした。聞くまで帰れないという(笑)


R: 恐ろしいですね。 


A: それで、毎日お昼時に会社を回ってたんですが、そう契約がとれるはずもなく・・。半ば「まぁいいや」という感じだったんですが、ある会社の受付の女の子と仲良くなって。最終的にその子の家に泊まりに行くくらい仲良くなったんですけど(笑)、そこから口こみでどんどん広がって行って、気付いたら営業成績トップだったんです。


R: トップですか?!

A: はい。今から考えると、やる気がなかったのがかえって良かったのかなと。けっこう好き放題にやっていたので(笑)




R: あまりガツガツしてなかったのが良かったということですね。


A: そうかも知れないです。ただ、その仕事が原因で、椎間板ヘルニアで倒れてしまったんです。自分では起き上がれなくなってしまい、結局生保の会社は1年後には退社しました。それからは、フランスに行くための資金を貯めるために、語学学校に通いながらスニーカーでも通勤できる職場でずっと働いていました。


R: そうだったんですか。ヘルニアはつらいですね。ところで、フランスへ行こうと思ったのは何がキッカケだったんですか?


A: 短大の卒業旅行でフランスに行ったんですけど、その時に、フランス語の響きが心地よく、「いつかここで暮らしたい」と強く思ったのがキッカケです。就職したのも、実はフランスに行くための資金を作るのが目的だったんです。



R: それでその夢がかなったのはいつ頃だったんですか?


A: 23歳の頃に一度ホームステイで行き、長期滞在したのは26歳の時ですね。

R: どのくらい行かれてたんですか?


A: 約8ヶ月です。それから日本に帰ってきて、せっかくフランス語が話せるようになったので、絶対フランス語を使う仕事がしたい!という思いがあり、フランスの某有名企業で働いたりもしました。(←誰もが知っているフランスの大企業です!)


R: すごいですね。では、フランス語はかなり話せるようになられたんですね。


A: いえいえ、ハッタリで面接を受けたんです。大してできなかったのに(笑)そしたら採用されてしまって、私は秘書課に配属され、フランスの本社の社員とメールや電話でやりとりする仕事だったのですが、もちろんすべてフランス語なので、毎日分厚い辞書を持ち歩いて猛勉強の日々でした。


R: それは貴重な体験をされましたね。


A: はい。そこでまたフランス語を学び直して、かなり鍛えられましたね。それから実家の引越しを機に転職し、29歳で今の主人と結婚しました。

R: では、結婚を機に仕事を辞められたんですか?



A: いえ、仕事は結婚後もずっとしていました。実は、龍生の前に一度子供を授かったんです。「龍平(たっぺい)」君という男の子だったんですけど、彼は妊娠7ヶ月目で天国に行ってしまったんです。染色体異常が原因でした。


R: それは辛かったですね。


A: この経験は私にとって人生最大の出来事でしたね。今思うと、大したことないなと思うんですけど(笑)その時までは、赤ちゃんは産まれてくるのが当たり前と思っていたので、自分の中のすべてが崩れてゆき、奈落の底に突き落とされたような気持ちでした。


R: それから龍生くんを授かったんですね



A: はい。でも龍生を授かるまで2年くらいかかったので、途中「もう無理かもな」とあきらめかけていたんです。主人と二人だけの生活もありかな、なんて。それで本気でまた仕事をしようと職探しを始めた矢先に龍生を授かったので、欲しい欲しいと思っていた時にはできなかったのに、こんなもんなんだなぁと思いました。



R: そうなんですね。



A: でも、たっぺいくんの事があってよかったと思ってます。たっぺいくんのおかげで、主人との関係もすごく良くなったし、お互いの両親との間ももってくれている気がするんです。

R: 本当ですね。たっぺいくんがみんなをつなげてくれたんですね。では、あべさんが今までに一番達成感を感じたことを教えて頂けますか?



A: 龍生が産まれてきて、泣き声を聞いた瞬間です。「よーしっ!!!」と思いました。

R: では、龍生くんが産まれてきた瞬間のことを思い出して頂けますか?


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あべさんは、分娩台の眩しい灯りに目を細めながら、産まれてたての龍生くんを胸に抱いています。

ベッドサイドではご主人が「よかったねー」と声をかけてくれています。ずっしりと重く暖かい龍生くん。泣いているけど笑っている龍生くん。「ママ大好き」と語りかけています。あべさんは「ありがとう」と笑いかけます。この瞬間、あべさんにとって、龍生くんはなくてはならない存在になりました。

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R:それでは、今度は未来についてお聞きします。あべさんの、将来こうなっていたいという理想像について聞かせていただけますか?



A: 将来は、龍生が手から離れたら、自宅でフランス人に日本料理を教えていたいです。



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あべさんは自宅でフランス人に日本料理を教えています。ある夏の日、明るくて風通しのよいマンションのリビングで、56人のフランス人とその日のメニューのちらし寿司を食べています。フランス語の話し声や、食事をする箸や皿の音、「おいしい」「おいしい」と言い合う声で部屋は満たされています。あべさんも楽しい気分でいっぱいです。フランス人のお友達がにここやかに楽しそうにしている様子を見ながら、あべさんは「またやりたいなぁ」と次回のメニューを考えているのでした。

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