私は人生を楽しむために生まれてきた
なのに、どこかで波乱万丈位の方が
よりエキサイティングな人生になるでしょ
悲劇のヒロインの方がいいんじゃない?
といわんばかりの潜在意識の私
「なんでそう思うのかな」
一人湯船につかりながら
昔を振り返って考えてみた。
私は子どものころから
貧しく生活を日々頑張ってる親をみては、
私は他の家よりも恵まれてない家に
生まれたんだ
そう思っていた
父が心の病気という言い訳であまり働かず
母が頑張って働き生計を支える
そんな母の姿をみると
苦労ばかりで幸せそうには感じないし
私は親のような人生は過ごしたくないと
心から思っていた
小学5年のときに両親が離婚
6年のときは仲良しのグループの友達から
ある時、急に仲間外れにされた。
そのあと普通に戻るものの、
この時、女友達の態度の変わりようの
怖さを知ったのは言うまでもない
中学1年の冬
別々に暮らしてた父がなくなった
叔父から父が亡くなったことを聞いたのは
すでに納骨も終わったあと。
「お父さんもういないんだ・・・」
全然実感がわかなくて信じられなかった。
涙さえもでなかった。
若い頃からどこかでずっと早く死にたいと思っていた父
やっと念願叶って、お父さんよかったね、とさえ思った
中学のときは、
部活で部長になるものの
反抗する一部の部員たちからの
いやがらせの日々。
「私の人生はなんだかグレーだな」
そんな風に思った10代はじめの頃
でもその頃からなのか
そんな足かせの出来事は
私の言い訳の一つになってきたのかも
しれない
例えば、
女友達が信じられない
→ 昔、仲間外れにされた。いやがらせをうけたから
やりたいことができない
→家が貧乏なので、お金がない。だからやれないからやらない
幸せを感じれない
→一番身近な親が幸せそうじゃない。目標をもてない
こうやって、何かの言い訳にすることで
自分を肯定することを覚えてしまったんだな・・・
自分がどうか、ではなく
何か周りの状況や人を言い訳にすることで
私は悪くない、こんな状況だからしょうがない
みたいな。
自分軸ではなく、他人軸
幸せになるもならないも
人が決めるんじゃない
決めるのは自分なのに
状況がどうだって、自分が
どうしたいのか、どうなりたいのか
ただそれだけを見ればいい
自分の周りの環境や状況を
言い訳にしたところで
もやもやするのは
ずっと変わらない
何かを言い訳にした方が
自分を肯定できる
自分の自信をなくさなくていいかもしれない
でも、本質をみることができてなければ
本当の進むべき道、いや進みたい道が
どこかさえも迷ってしまうんじゃないか
私が生きるのは、私の人生だけ
付随するいろいろな出来事は
私の人生という映画の脚色には
なるだろう
だけど、大切なのは主役がどう生きていくか
その生様が見ごたえあるものに
なるだけ
大切なのは、自分という軸
自分がどうありたいか
私は幸せになる力がある
というか、すでに幸せなんだ
誠実で優しくて愛情深いEと結婚できて
彼に養ってもらい、妊活に専念できて
自分の好きな学びを続けられて
両家の親や家族も元気に過ごしてて
信頼できる大切な友達がいて
素敵な人たちに恵まれ
たくさん色々な経験をすることができた
私の人生
どれだけ幸せなんだろう
目の前に困ったことが起きた時に
何かのせいにした方が楽だったりする
だけど、それをしても結局変わらない
叶えたい目標があるなら
目標にむかってできることをやるだけ
そして日々の自分の中でやることを
整理して眠りにつく前に
Eが帰ってきた