こんにちは。ニコニコ


ここ最近、ブログまで手が回らず
放置してしまいました。あせる


みなさまは、この秋、そして冬の始まりを
いかがお過ごしでしょうか。








「 自分らしく、自分で生きる 」がコインの表なら、
コインの裏側は、

「 親から 分離して生きる 」ということであり

「 親を 超えていく 」ということなんだなぁと

体感する日々を過ごしていました。



この親からの分離って、私の場合は、
かなりの痛みというか衝撃を伴うんですよね。



幼児の頃に、無意識に自分で選んだものに気づくのに、
自分の思い込みがあって、なかなか到着せず。



その思い込みは、自分と一体化しているもので
自分にとって、とてもとても自然なものなので
親のものだと見分けにくいんですね。



私の場合は、自分らしさだと思っていた幸せの定義が
実は、父から受け継いだものだと気づいたのがきっかけでした。



そして、その父から受け継いだ幸せの定義は、
手放していきたいと思考で考えたのですが、
私の魂からの願いは、手放すことではなく、
父親の幸せの定義を、バージョンアップすることだったようです。



で、そのバージョンアップのエッセンスとして
母親の感覚を、意識的に受け継ぎたいと感じている自分がいて。。。



でも、母親の感覚を受け継ぐには、
私の思考(正義感、常識、思い込み)が邪魔をして。。。 ガーン



母の感覚をそのまま受け取ってみると、
私の心理的抵抗から、即、熱がでました。笑



両親は離婚しているのですが、
母のエッセンスを使って、
父の幸せの定義をバージョンアップすることは、
2人が結婚した両親の魂の願いも、昇華したようにも感じました。



母親が嫌いな自分から卒業するって、
結局は、親を超えていくってことなんだなぁと。


親を超えていくことで、
「 母親が 嫌いな 自分 」から
「 母親が 気にならない 自分」に
なっていくようです。


「 母親が嫌い 」 の反対は、
「 母親が好き 」「 母親と仲良く 」ではないんですね。


もっと平たくいうと、
「 母親のことは、どっちでもいい。」っていう感覚かな。


とらわれない。


母親にとらわれない感覚は、
とても自由で、ほっと一息つけます。