ウィローツリーという人形の置物がある。
表情がないので、投影しやすい(;^ω^)
これを見ると、心がチクッとする…
なんだ?この感じ??サワサワする感覚もある。
何だろう…
しばらく、この画像をスマホの待ち受けにしてみる。(この時点で変態ですね)
日々何度も目にするたびに、チクッとする。
そして気づく。。
これ、求めてたかも・・・
でも、欲しくても得られなかったもの。
こんな風に愛されるって、わたしは体験しているんだろうか?
欲しくても得られなかったら、拒否し続けてきたもの。
でも・・・やっぱり、欲しかったのかもしれない・・・・
ちょっとね、素直に受け入れられたんだ。
私は、愛ってヤツが欲しかったんだって。
でも、得られないなら、最初から求めない方がいい。。
ただ、もしかしたら、こんな風に………って思いも出てくる。
痛い…(;´∀`)
それでも、最初のチクッとした痛みとは違って。
そして・・・こちら・・・
なーーーんじゃ、こりゃ??
ケッ…っと、笑えてくる。
何度見ても、ケッという思いと共に笑いが出る。
なんなんだ、この感じ。
笑える感じにも笑える。
これまた、顔の部分をアップにして待ち受けにする。(ドM だねと友人たちに言われる~)
数日間、それを味わうわけです。
出てきたのは、「あるワケないじゃん」 だった。
私の両親は小学1年生の時に離婚をしていて、でも私が生まれたころから、父には他に女性がいたらしい。
私の記憶の中に、父と母が並んでいるものはない。
おぼえているのは、玄関で父が出て行こうとしているときに母が泣いている画像だ。
両親の愛のもとに生まれてきたって、まったく信じてなかったんだ!
そんなこと、思いもしなかった~~~
母親が赤ちゃんを抱いている図は、チクッとする。
でも両親となると、まったくワカラン。
そして、「あるわけない」という思いなんだ。
へぇぇぇぇ~~~~~~~
最近、子どもの頃のトラウマが大爆発していた。
そんな折、このカオナシな人形の画を見ていると、色んなことに気づく。
すぐに出てくるわけではない。
でも、ハートの奥の奥の何かが動く。
それを、ゆっくりじっくり見てみる。
そして、こちら。。。
上の父母子より、なんだかザワザワする。
「あるわけないじゃん」はそのままだけど、もう笑えない。苦しいくらいで。
まさか???
父親が抱いているのがダメなのか???
これは↑ふたりが困っているように見える(;´∀`)
普通は、誕生の喜びに見えるであろうコレが、困っているように見える自分に驚く~
これは、何も動かない。
ちょっとヤバいくらいに心の動きがストップする。
私は、父が大好きだった。
周りの大人から、「あなたのお父さんはあなたを溺愛していてね」とか、いつも言われていた。
父はわたしにメッチャ甘かったし、可愛がってくれた。
私もパパが大好きだった。
父は私が高校生の時に他界した。私は一緒に暮らしていなかった。
子どもの頃から、パパはヒーローで、パパが居てくれたら大丈夫。
ずっと、神格化していたかも。
でも、この画は、なんかヤバい。
またまた、待ち受けにしてみる(◎_◎;)
何が出てくるのか、メッチャ怖いの。
そして、出てきたのは・・・
「それ、いらないんでしょ」
「どうせ、それ、捨てるんでしょ」
だった。
私は親の離婚再婚で、父や母と離れることがあった時、「捨てられた」という思いはなかった。
その後も、ずっと。
でも、奥にはそんな思いがあったのか???
父に関して、何かの感情や思いが出てきても、「でも、パパは私を愛しているから」と全部に蓋をしてきた。
それが、パッカーーンです。
父に掛けていた豪華で立派な額縁が落ちた。
そのショックはあったけれど、浮かんでいる父の表情がほっとしているように見えた。
そりゃそうだよね。
自分じゃない何かを、ものすごいフィルターをかけられていたものが、剝がれたんだもんね。
わたしは、やっと父に会えた気がした。
ギュッと力を入れてつかんでいた手が緩んで、実体のないものが落ちていく。
身体が楽になっていく。
呼吸が深くなる。
そんな風に自分のフィルターが剥がれていくと、この人形の画を見ている感覚も変わる。
チクッとしながらも、それを求めていたんだな~という、素直な思い。
スナワチ、愛を求めていたんだな~って。
親というものは、本当に大変なもので。。
子が生まれて、親になったという理由で、世に渦巻く価値観を負わされる。
昨日と、まったく同じ自分が、子が生まれた途端、いや妊娠を告げられた途端かな?大きな何かを負わされる。
ま、結婚もそうだけど、責任の違い、負担が大きすぎる。
なんだかね、私がいるだけで、ものすごい精神的にも、経済的にも、肉体的にも、責任を負わせてたんだな~とか。
そりゃ、酷ってもんだなって。
子が誕生するって、親になる者にとっては、脅威なのではないか。
そんな人も多いのではないか?
ふつうの人間に、いきなりそんな重いものを課して大丈夫なのか??
そんなんだから、アダルトチルドレンとか、インナーチャイルドとかが量産されるのではないか?
親にだけ求めるには、それは、ちょっと無理なのではないか?
親だって、愛がほしいよね。
大切に丁寧に、よしよしってしてほしいよね。
そんな思いの中で、これ↓を見ると安心する。
親っていう普通の人間に、それを求めると、求められた方も大変だろうと思ってしまう。
でも、天使っていうか、大いなるものへは、こんな風に全身を思いっきり預けてOKって感じる。
親の立場の人たちも、こんな風に頼り切れる何かがあるって思えると楽だろうな。
最近、子どもの頃のトラウマがパッカーンと、開いて。
メッチャ大変で、レイキ仲間に遠隔をお願いした。
その安心感の中、自分の内側にある色々なものを見た。
掘るというのではなく、観た。
その後の、ウィローツリー。
その画を見ているときに起る感覚や出てくる感情を観る。
思考で何か見結び付けようとしないで、逃げたくなる自分も見ながら。
そんな風にしていたら、それらの心のうちの扉は開いて行って。
それをそのままにしておく。
今は、その扉の蝶番が外れて、ドアがなくなって、風が通っているような。
開かずの部屋がひとつなくなった。
自分の内で動いているものを、丁寧に見てあげる。
それって、自分の感情を大切にすることで。
自分を大切にすることなんだなって感じた。
見たくなくて、顔を背けたり、別の何かを見ることで、自分を見ないようにしてしまう。
でも、掘らないで、ただただ、こんな感情が出てくるんだな~身体はこんな感覚なんだな~と、ただただ見ている。
ふんわりと。
苦しくなったら、みんなに遠隔してもらったりね。
なーーーんか、楽になったよ♪
ウィローツリー、癒しの彫像って言われているけど、アダルトチルドレンな私が見るとこんな感じ。
自分の内側の変化を見るのに、最適なツールだった。
今はね、それぞれを見ていても、大丈夫な感じ。
そうありたいって、みんなが願う姿だよね。
でも、この形になろうとしなくていい。
親だからって、たくさんのことを負わなくていい。
ただただ、いのちの誕生を喜べばいいよね~~みたいな。
レイキをしていると、自分を大切にみてあげられるようになる。
大変だったら仲間に「助けて」って言うことが出来る。
そして、求めなくても、愛はここにあるんだよね。って感じることが出来る。
久しぶりのブログで、超長文(^^ゞ
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