8月20日
突然の、娘の死から1年
18日に一周忌法要を済ませて
7月の初盆、そしてこの一周忌
あらためて、もう娘はいないのだと
思い知らされる時間でした。
折々に浮かぶ思い出と
たくさんの「たら・~れば」の問いかけ、
そして自責と諦め。
そんなことの繰り返しの日々でした。
家から見える、娘が亡くなった場所の方向の景色。
命日までは「去年の今頃はまだ生きてあそこにいて」とか
思い出を浮かべては悲しさと寂しさに涙して。
それが一年過ぎてしまうと、同じ景色も「すでにいなかった」に。
この差の大きさに衝撃を感じた。
それまで悲哀たっぷりの情緒的な景色が
単なる景色になってしまう…
本当にいなくなってしまったんだと思い知らされる
葬儀が済んで火葬された週末のあの時間がくるこの週末
今度は「この世から肉体すらなくなった」と
重く辛く過ごすのか
そのあとの自分がどんな気持ちになるのか
「実は去年娘を亡くしまして」が2年前、3年前となっていく、
娘の死からどんどん時間が過ぎていくのが
とてもとても悲しく、寂しい。
喪失から1年の節目に立って、悲しみの質も変わって
さていよいよ、自分の人生の新しい章を始めないとと
思いながらも、なかなか。。
それでもグリーフケアに触れる中で
学んだこと、感じたこと、その変化を
ブログに都度書いて、同じ悲しみを抱えた方に
なにか少しでも…となれたらと思う今日であります。

