とある観光地でタクシーに乗った時のこと。
運転手さんが是非にと勧める場所に
彼の言う「お安くしとくお得な定額料金」で行った。
そこは日本の原風景と言える、かやぶき屋根の集落で
新緑の山道の往来も含めて心潤す素敵な時間となった。
降車後、笑顔で別れるも、今一つ腑に落ちない
モヤモヤ感が・・・
いい時間だったけど、あの料金ははたして・・・?
まさかボッたくられては...
いやいや、あの笑顔、3時間強の会話...でもそれにしても...
いや、幸せな時間だったし...の問答が繰り返され
最後には「いい時間だった」ということで納得することにした。
ところが次のタクシーの運転手さんいわく、
どう考えてもその値段ははおかしいと、細かい説明を始めた。
観光地でだまされたなんて思いたくないから
「知らない方が幸せということもあるし...」とやんわり止めるが
親切なのか、正義感か、同業としてのプライドか、
乗ってる間ずっと説明は続き、降りる頃には体まで重くなった。
どうして信じきれないんだろう。
信じていたいのに。
これまでの失望の多さゆえか・・・。
現実的に妥当な料金うんぬんは横において、
これを機に「信じる力」について考えてみた。
信じていたい・・・というのは
人を・世の中を信じていたい期待の面、
自分の行為・判断・自分のいる世界を否定したくない面、
その2つがあるのだろう。
信じる力=自分を信じる力でもある
これを得るには色々な経験が必要。
大切なのはその場、その関係で最低限何が必要か、
重要か、守られるべきか・・・
自分の基準をしっかり持って見つめることなのかなと。
完璧なんてないだろうから、「せめてこの点は」が満たされたらOKに。
そんなことを積み重ねるうちに、もう少し信じる力を持てるのではと。
信じる自分を信じられるし。
今回は「幸せな時間だった」ということで
あの優しい笑顔とともに胸にしまおう。
本当に素敵な時間だったから。。。
大村より