義父退院からの入居 | 大切な時間

大切な時間

『普通の事を出来ることが何よりの幸せ』そう思うことが出来たのは、病気になったからかも知れません。毎日の暮らしを大切に、家族に作る食事を中心に楽しみながら更新しています。たまに我が家の猫マサヒロも登場します。



疲れたもやもや
でも何とか終わった。

西宮出発してまず義母の病院していた市立病院の清算と領収書発行➡︎義父の病院転院➡︎住宅型有料施設➡︎実家➡︎郵便局➡︎りそな銀行➡︎義父の退院後の支払い➡︎電気屋➡︎お昼ごはん。

14時半2人でガッツリ食べました。


食後は郵便局➡︎実家➡︎帰宅。

最後の施設は電話で済ます事にして、書類は送ってもらう事にしたので思ったより早く帰れました。


公共料金だけでも月に3万以上、何にそんなにかかってるのか?記帳して必要のないものを解約。でも立会いしないとダメらしく、19日弟夫婦が義母の通院に行ってくれるので、その時立ち会ってくれるようになったので有難い。8月からバタバタで兄弟であれこれ大変だったけど、これでなんとか落ち着きそうです。


義父は声を掛けると少しわかるのかな?目をぱちぱちして声を出していました。会えないと思っていた義母は、偶然運良くお風呂帰りに私たちの契約の近くを通ったので『お母さん』って声をかけたら、ん?誰?って顔で近づいて来ましたが、『あんたら何してるんよ?』とまぁ、いつもの元気な義母でした。『私はここで楽しくしてるから大丈夫よ』と笑顔で話してくれたのですこし安心しました。その後、何年振りかな父と会ったようで喜んでました。


今はコロナが流行ってるので会えないようだけど、少しおさまって来たら施設内では会えるようになるようなので、結果良かった感じがします。あとは、岸和田の家の売却。何度か兄弟で整理して、あとは業者の方にお任せする予定。戸籍も実家で、だんじりさんが買い取りたいなら我が家が買い取ろうかとも話し合ってますが、西宮のローンもまだあるので現実問題難しいかもだけど、色んな方法2人で考える事にします。





今日は阪神大震災から28年ですね。
忘れる事のない恐ろしい揺れは、今でもはっきり思い出せる怖い思い出の一つです。大阪の高石市に住んでいて、マンションから出るのも大変でエレベーターは止まるし、嫁入り道具はひっくり返ってぐちゃぐちゃで、今みたいに携帯なんかないから連絡も取れずお金もおろせず大変でしたが、テレビが繋がり神戸の街並みを見て驚いたのが蘇って来ます。

今日一日バタバタでしたが、だんじりさんと途中地震の話をして2人で黙祷。忘れちゃいけない日だもんね。普通の生活ができる事が1番の幸せ!そう思って生活する事にします。

やっと高速降りたからあと少しでお家。
週末の娘さんの引っ越しが済むまではまだまだバタバタしそうですが、もうちょっと頑張る事にします💪


でも疲れたもやもや



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