私には、本当に怖かった2人の父親が存在した。
おひとりは血縁関係ではない。

私の父親は同級生からも怖れられる人だった。
小学校の頃は、常に1位になれと言われ、
2位だと認めてもらえなかった。
だから2位のものは、父親に見せなくなった。

通知表は5段階評価だったが、常にワンランク下げて話をされた。
『5』であっても、我が家では『4』となり「まあまあだな」。
『3』を取ってしまうと『2』になり怒られるという理不尽さ。

勉強が好きなわけでも、偏差値を上げたいというわけでも、
目指す学校があったわけでもなかったが勉強はした。
中学受験をして母親のOG校に入学することになる。

12歳で、朝5時半に起床する寮生活を過ごす様になった。
嫌がおうにも親離れ、いや引き離されたと言っても過言ではない。
24時間共に過ごす200人近くの男子生徒の世界で
適応力が磨かれたのは間違いない。

18歳で、2人目の父親、会長と出会う。
枠からはみ出すことは怒られなかったが、
約束や礼節を守らないとこっぴどく叱られた。
決めたことを貫く大切さや、継続していくことの大切さを知った。

たった1度の失敗も許されないピリピリと緊張した空気を
10代で知った事は、その後の人生に大きく影響した。
必ずやり抜くという覚悟を決めた時、人間は強くなれる。

自分一人では、絶対に経験できなかったこと、
絶対に選択しなかったことを経験できたことが今に生きている。

若いうちは自由を求めるが、実力がないので壁にぶつかる。
権利を主張するが、経験が乏しいので本質を見抜けない。

小僧だった私は誰にも相手にされなかった。
しかし2人の父親は真正面に立ち胸を貸してくれた。
間違っていることは、間違っていると教えてくれた。

今、直感力で突破できない時、心の中で父親に質問する。
向かっている方向が正しいのか、私利私欲に負けていないか、
やり抜く覚悟を持っているのか。
厳しかった父親に問えば、どんな答えが返ってくるか自ずと解る。

責任を背負って初めて気付くことがある。
幾つかの厳しい機会を乗り越えて解ることがある。

挑戦できる環境を社員や息子たちに準備したい。
答えはすぐに求められるものではなく、
ずいぶん先にあることを体験して欲しい。