人間が成長できるかどうか、

極論かもしれないけれど、気付けるかどうか。

気付ける能力があるか。ということを最近考えている。

 

どれだけ知識や経験があっても、

どれだけ人脈やお金があっても

気付けなければ、成長することも、成功することもできない。

 

お客様のふとした仕草の時もあれば、プロジェクトメンバーの一言の時もある。

社員の顔色の時もあれば、妻のアドバイスの時もある。

 

危険(リスク)回避の時もあれば、投資すべきと判断する時もある。

思いやる愛が必要と感じる時もあれば、人と別れる勇気が必要な時もある。

 

相手のビールグラスが空いていることに気づくこともあれば、

体の不自由な方や妊婦さんに気づいて席を譲れることもある。

 

どうしたら「気付き」を磨けるのだろう。

いつも顔色を伺ったり、キョロキョロしているのとも違うし、

常に神経を研ぎ澄ませているわけではない。

 

気づきには2種類ある。

 

1つは、瞬間に閃く触覚の様なもの。

誰でも「ハッ」と気づいた経験はあるだろう。
点と点がつながった時もあるし、第六感の様な感性の時もある。

 

もう1つは、論理的思考で物事を深堀りした時にたどり着く気づきがある。

「風が吹けば桶屋が儲かる」といったところか。

 

さて、話を戻そう。どうしたら気づけるようになるのか。

実は、大よその人は、「気づく能力」は生まれた時から兼ね備えている。

 

ただ、大人になるにつれて、損得勘定、利己主義に走ったり、

利害関係を優先させたり、もしくは手間を惜しむ、

面倒なことを行おうとしない、という決断をしているだけである。

 

知識や経験を活かし、人脈やお金を大切にして、

気付いたことを決断して行動に移し

そして継続させることによって成長し、成功することができる。


「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を真っ先きに微笑みを以って担当せよ」

 

玉川学園の創立者、小原国芳先生の言葉。

なにも犠牲者になれと言っていたわけではない。

自分の人生を豊かにしたいのであれば、

気づいたことは、どんな局面でも笑顔を忘れずに行動しなさい。と。

 

教えから40年経って、私もようやく気づけたのかもしれない。