1997年、まだ日本では無名だった、イングリット・フジコ・ヘミング。
親しみを込めて、フジコさんと記す。
私の母の3つ上の先輩で、大学時代から仲良くしてもらっていたらしい。
その後、ベルリンを始め、素晴らしい活躍をされたことは、
周知の通りだが、ほとんどの聴覚を失った後、暫くして帰国された。

「なんとか、もう一度世に出したい」と、当時の母。
小さな教会のチャペルで初めてのリサイタル。
母に頼まれてチケットを購入し聞かせてもらった。

1999年、奏楽堂でNHKのカメラを通して、
フジコさんの奇跡のカンパネラがお茶の間に届いた。
瞬く間に事務所が決まり、そして17年経った現在も、
世界中でリサイタルが開かれている。

フジコさんは、ただ、ひたすらに道を究めている。
迷いがないモノは美しい。
美しいモノに人は惹かれる。

85歳にして、1日6時間の練習をしているとのこと。
目標を立てることに意味があるのか、とさえ思わされる。

コンサートも終盤に差し掛かった頃、
フジコさんがおもむろにマイクを持つと、
「熊本の被災者へ捧げる」と。

彼女が贈った曲はドビュッシーの「月の光」。
愛と優しさに溢れ、燦々と降り注ぐ繊細な月光が
塞ぎ込んでいる被災者の心を照らしてくれたことだろう。

来月、当社からも支援金、または義援金を送る。
「7月は遅い」など社内でも色々な意見が出た。

「復興までには、多くの時間がかかるので、
時期を焦る必要はない」ことを伝えつつ、
「企業の義務として第一優先は、黒字で決算を迎え、
企業市民として納税すること。
寄付する金額を決めるのは、その後になる」と説明した。

6月を迎え、第3四半期の数字が確定して来れば、
8月末決算の利益が見えてくる。
その中で、私たちに相応しい寄付活動を行いたい。

私たちが送るお金は、私たちが社会に貢献して得た利益。
社員・役員が汗水垂らして稼いだ尊い本物のお金。
パフォーマンスではないからこそ、意味があり価値がある。
社員、社員の家族と共に真に価値ある行動を継続させていく。