寅さんシリーズで直兄、故山本直純の下、音楽監修、
パーカッションなどを担当した直喜叔父が他界した。
通夜、告別式に参列し見送れて良かった。
告別式では静かに送ってあげようと思っていたが、
最後に棺が送り出された時、切なさが込み上げてきた。
大きなバイクに跨り7年前に他界した叔母を後ろに乗せて、
颯爽と東京中を駆け巡っていた。
将棋がめっぽう強く、酒を飲めば豪快で、
いつも人を喜ばそうとユーモラスたっぷりな叔父だった。
私の結納式にも結婚式にも列席してくださった。
甲府へ向かう特急電車の中では歌を歌い
私の緊張を解きほぐしてくださった。
通夜の後、軽い食事をいただきながら、
12歳年上の従兄から叔父の音楽活動について話を聴いた。
私の知らない厳しい叔父がいた。
不条理な世の中で、写譜のために何日間も徹夜を強いられ、
ドラムを叩いて音楽を監修して映画を守り、
音楽で食べていくことがたいへんな世の中で家族を守り、
現場ではたくさんの人を育て、愚痴を言いたい時も人を笑わせていた陰で、
20年近く闘病生活をしていた。
『男はつらいよ』
けれども、たくさんの友がいて盃を傾け、
映画を作りあげる、成し遂げる喜びを知り、
将棋を指すお相手がいて、
愛する家族に囲まれて、きっと幸せだったと。
「男はつらいよ」の主題歌、出だしのパーカッションを聴く度に、
叔父を思い出して欲しい、と言った従兄の言葉が胸に残り、
早速、YOU TUBEで聞いてみた。
それは、温かみのある心地よい音だった。
ありがとう叔父さん。合掌。
パーカッションなどを担当した直喜叔父が他界した。
通夜、告別式に参列し見送れて良かった。
告別式では静かに送ってあげようと思っていたが、
最後に棺が送り出された時、切なさが込み上げてきた。
大きなバイクに跨り7年前に他界した叔母を後ろに乗せて、
颯爽と東京中を駆け巡っていた。
将棋がめっぽう強く、酒を飲めば豪快で、
いつも人を喜ばそうとユーモラスたっぷりな叔父だった。
私の結納式にも結婚式にも列席してくださった。
甲府へ向かう特急電車の中では歌を歌い
私の緊張を解きほぐしてくださった。
通夜の後、軽い食事をいただきながら、
12歳年上の従兄から叔父の音楽活動について話を聴いた。
私の知らない厳しい叔父がいた。
不条理な世の中で、写譜のために何日間も徹夜を強いられ、
ドラムを叩いて音楽を監修して映画を守り、
音楽で食べていくことがたいへんな世の中で家族を守り、
現場ではたくさんの人を育て、愚痴を言いたい時も人を笑わせていた陰で、
20年近く闘病生活をしていた。
『男はつらいよ』
けれども、たくさんの友がいて盃を傾け、
映画を作りあげる、成し遂げる喜びを知り、
将棋を指すお相手がいて、
愛する家族に囲まれて、きっと幸せだったと。
「男はつらいよ」の主題歌、出だしのパーカッションを聴く度に、
叔父を思い出して欲しい、と言った従兄の言葉が胸に残り、
早速、YOU TUBEで聞いてみた。
それは、温かみのある心地よい音だった。
ありがとう叔父さん。合掌。