地球温暖化で春や秋はどこにいったのだろう。。。
ここ数年、そんな感覚だった。
しかし先週末、山の紅葉をみて、
『四季は訪れるものではなく、
自らが迎え入れるものだ』と痛感した。
冬でも夏野菜がスーパーに並び、
みかんは1年中食べられる果物になった。
秋の風物詩は知らぬ間に南瓜になり、
終わればクリスマスのネオンが街中に溢れている。
聞いたところによるとお買い得な情報や、
今年の最先端と謳うマスメディアの情報と
潜在意識にさえ呼びかける販売促進活動に、
四季をもコントロールされ、私も流されていた。
◎秋は確かにそこにあった。
ビル街では感じられない秋がそこにあった。
ヒヨドリとシジュウカラが冬支度を急ぎ、
広葉樹は葉を染め、はらはらと散っていた。
空気は澄み、遠方の山々を映し出していた。
あまりに情報が多すぎる社会で錯綜しないために、
自然と触れ合う機会を定期的に持つことも、
人間の本能を退化させないために大切だと感じた。
正しいか正しくないか、答えがない世の中だから、
目や耳に入ってくる情報より自分の五感を信じて
本物かどうか判断していこうと思う。
ここ数年、そんな感覚だった。
しかし先週末、山の紅葉をみて、
『四季は訪れるものではなく、
自らが迎え入れるものだ』と痛感した。
冬でも夏野菜がスーパーに並び、
みかんは1年中食べられる果物になった。
秋の風物詩は知らぬ間に南瓜になり、
終わればクリスマスのネオンが街中に溢れている。
聞いたところによるとお買い得な情報や、
今年の最先端と謳うマスメディアの情報と
潜在意識にさえ呼びかける販売促進活動に、
四季をもコントロールされ、私も流されていた。
◎秋は確かにそこにあった。
ビル街では感じられない秋がそこにあった。
ヒヨドリとシジュウカラが冬支度を急ぎ、
広葉樹は葉を染め、はらはらと散っていた。
空気は澄み、遠方の山々を映し出していた。
あまりに情報が多すぎる社会で錯綜しないために、
自然と触れ合う機会を定期的に持つことも、
人間の本能を退化させないために大切だと感じた。
正しいか正しくないか、答えがない世の中だから、
目や耳に入ってくる情報より自分の五感を信じて
本物かどうか判断していこうと思う。