誕生日を目前にして、振り返ってみる。その2 | オーラが輝けば人生が輝く☆オーラリーディング & ヒーリング & オルゴナイト

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東京・八王子でオーラリーディング、アニマルカウンセリング、ヒーリングを行っています。


こんにちは、たみです。

自己紹介その1 の、続きです。

実は。

東京アニメーター学院声優本科に入る前、違う養成所の試験を受けたんです。

が、結果は見事に、不合格。

自分でも「当然だよな~」と思う程の、上がりっぷり。

そんな大事な場面でそうそう自分の思い描く通りにできるわけがありません。

仕方なく、といったら失礼ですが、無試験で入れる東京アニメーター学院声優本科に、5月生として、入学したのです。

・・・初めから滑り止めを考えるのは、何か違うな~と思っていたのが、また微妙なトコロです(;^ω^)



で、何故、同じ無試験の代○木アニメーション学院にしなかったのかというと。

中学まで一緒だった子が「東京アニメーター学院に行く」と言っていたのを聞いたから。

ただ、本科か専科かまでは聞いていなかったので、一か八かで本科を選んだら。

友人は専科だったという・・・

ただ、イベント(?)で逢った彼女はエラく驚いたので、成功!とほくそ笑みました♡

って、何ゆえに自分の人生をそんなんで決めて、サプライズ成功!わーい\(^o^)/で、生きているのか・・・

というのも。


1999年7の月、世界は滅亡すると信じていたからです・・・!(大アホ)

だったら、嫌な努力はしたくないな~というのが、ワタクシの行動の基本だったのです・・・!(マジで)



そんなこんなで、入学した「東京アニメーター学院声優本科」。

たまたま5月生が何人かいて、凄く安心して同じオタク(笑)なクラスメートに溶け込めました。

が。(が。ばっかりやね・・・)

そこでも立ち塞がる上がり症。

「ういろう売り」を3日で覚えても、クラスメートの前では発表できない。

エチュードのセリフを覚えても、台本を手放せない。

常にクラスメートの後を追う意識。

毎日惨めで行きたくないと思っても。

「行くって決めたの自分だし」

と、それでも5月生的に皆勤できたのは、気の良いクラスメートのお蔭でした(*´ω`*)



でも、こんなんじゃ卒業しても、どこにも所属できないな・・・

という、滑舌、上がり症、演技の下手さ(アイタタタタ・・・((+_+)))。



そんな2年目。

・・・因みに、1年目は4クラスあって。

ワタクシはBクラス、ひのはCクラスでした。

残念ながら辞めていく人もいて、2年目は3クラス編成になったのです。



当時、学院所属の先生の指導の他に、外部からの演技指導を頼んでいて。

我々2年C組は、某劇団の代表やその劇団の中でも演出助手をする方に見て貰えることになりました。




7月の中間発表会が終わった時に

「お前は自分で思っているより華がある」

と、代表からの評価を頂いて。

1年から一緒の友人も

「そうだよ!!」

と激しく同意してくれて。


(自分は自己評価が低すぎるのかな・・・)

と、ちょっと自分を認め始めたのでした。


翌年2月に行われる卒業公演も無事終わって。

その劇団の声優クラスに行きたいとお願いしたら喜んで頂けて。

簡単な試験はあったものの、ほぼ顔パス(笑)。

・・・因みに 『声優クラス』 とは言うものの、『週2日コース』 的なものでやることは演技の勉強。

『本科』が基本、月~土曜日で、お金もかかるので、

お金をこれから溜めよう的な人が通うのが 『声優クラス』 なのでした(#^^#)


そのクラスを2年通ったのですが。

実家が田舎で無免許なワタクシは思う様な貯金が出来なくて。

でも、年齢も年齢で。

半ば無理矢理、えいッ!と本科に入団することを決めたのです。

初年度は、その期のサブチーフ(サブリーダー)に任じられ。

新人は基本出られない本公演に2回とも出演し。

年末のイベントで美術部でチームリーダーして。

そもそも新人公演の衣装と小道具が大変で。

目まぐるしく過ぎて行って。

3月の新人公演の出来もそこそこだったのですが。

初年度と比べて、いきなりやることがなくなってしまった2年目。

・・・そう、いきなり、何も。

というのも、主演を約束された公演(二本立ての内の一本)が削られ。

元々主演の予定なので、もう一本の裏方の仕事にも組み込まれていなかったのです。

で、自分から志願することもなく(笑)。

劇団の同期以外の人と会話も弾まず・・・。

燃え尽き症候群なところもあったのか、

「やる気がない」

と指摘される様に。

・・・の、前に。

1999年12月、ひののお父様が亡くなられました。

ひのは、父一人、子一人。

元々虚弱体質なひのが心配だったのもあり、同居して一緒に劇団に通おうという話になりました。

2000年4月初旬、ひのの家に居候として引っ越しました。

が。

いくら親しい友人でも、習慣も違い、衝突することも多々ありました。

燃え尽き症候群と新生活の疲労から。

「やる気がない」

と指摘される様に。

・・・う、うん・・・、確かに、この頃には、

「役者になりたい!」

という思いはほぼほぼなかったですね。

ただ、他に道がないから、と、惰性で通ってました(;^ω^)


そして、ついには。

劇団除籍の処分が下されました。



劇団を除籍されても。

「役者になる!」

と言って、
実家・地元を出た手前、2ヶ月もしない内に帰れないよ・・・と

ここでも、変な頑なさが発揮されるのです・・・(;^ω^)


つづく。


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