こんばんは、たみです。
終戦記念日ですね・・・。
これからも、平和というものの有難さを噛み締めて、大事にしていきたいなと思います。
そして、弟の誕生日でもあります~オメデト。
ワタクシの誕生日は後3日後・・・。
さよなら30代カウントダウン中です(笑)。
そんなこんなで。
リリブロを受けたり、誕生日間近だったり、Precious Garden の4周年もそろそろだし、と。
アメブロのプロフィールに手を入れていて。
1996年~とか、書いていて。
に、にじゅうねんまえやん・・・(;゚Д゚)
とか、素でびっくりしました、たみでございます。ひー
そう、相方・ひのとの出会いは1996年、4月。
東京アニメーター学院声優本科2年目の初日でした。
・・・の前に、何故ワタクシたみが東京アニメーター学院声優本科に入学したか、ですね(*^^*)
その辺りを語っていこうかと思います。
まず、内弁慶。人前大嫌い。
幼稚園の頃、大人し過ぎて、男子にからかわれ。
小学生1年の頃、数人にですが、いじめられていた時期がありました。
たまたま2年に上がる時、クラス替えがあって、その子とは離れた・・・気がします(うろ覚え)。
登校拒否までしたので、2年のクラスの時には、近所の幼馴染みも同じクラスにして貰えました。
・・・幼稚園2年間・小学校1年、その仲が良い幼馴染みとは必ず離されて。
まぁ、同じ交友関係ばかりではなく、世界を広げる為、というのは理解できますが、
いじめられて登校拒否をすれば同じクラスにして貰えるのかーと、
大人たちの振る舞いに、幼いながらも反発を覚えましたね。
で。
社交的でないワタクシは、遊ぶ友達も限られています。
用や習い事がある等で、数少ない友達と遊ぶ約束ができなかった時は、家で絵ばかり描いていました。
当時大好きだった クリィミーマミ や ペルシャ ばかり描きまくっておりました。
女子は絵が上手いとそれだけで認められる世界でした。
描きまくっていたワタクシは小学生2、3年位には『絵が上手い』という括りに入れて貰って、平穏無事な生活を送っておりました。
褒められると好きになるのは、当然の心理で。
月刊少女漫画誌『なか○し』 を愛読したりと、絵を描くのはずっと好きでした。
が。
その頃から歯並びが悪くなり、男子からは心無いあだ名を付けられて呼ばれるようになりました。
おまけに、上がり症で人前で発言するのも大の苦手。
現実に希望が持てなくなり、見事に内に引き籠る子が出来上がるわけです。
漫画まで描き初めて・・・と言っても、ペン入れとかまでしません。
シャーペンで描いて。
色鉛筆で塗る程度です。
それでも、何故か。
『私は自分で描いた漫画で、自分で声を当てる』
という夢を持ち始めます。
変な自信はあったんですねー( ̄▽ ̄)もはや完璧なる黒歴史の域です。

(愛用していた、34色入り色鉛筆。『肌色』の減りが一番なのはオタク故 / 笑)
中学は授業を聞いて、進○ゼミをしていれば、良い点を取れたので、県立ですが、そこそこの高校へ行けてしまったんです。
そう、行けてしまったんです。
周りは大学に行くのが当たり前。
だから、予備校などに行くのが当たり前。
ワタクシは声優になりたいから、大学に行かないから、勉強しなくてもいいや、な思考で。
見事に授業が分からない~\(^o^)/状態。よく卒業できました(笑)。
部活は茶道部。
しかし実態は漫画大好きの集団で。
同じくシャーペン画&色鉛筆ですが、描いては見せ合って。
・・・高校生で文化部なのにアルバイトもせずに、家に引き籠って延々描いていました・・・( ̄▽ ̄)
それもあって、その頃には、アニメへの情熱も冷めかけていました。
でも、勉強も興味ないし、他にやりたいことも見付からなかったので。
口にしていた声優への道に進むことになったのです。
・・・この辺、変に頑なな部分があるのかもしれませんね(*´ω`*)
で、東京アニメーター学院声優本科2年目。
初日に、
「『LU○A SEA』大好きです。好きな人、友達になって下さい」
と、自己紹介したのがひので。
『好きな人』がワタクシで。
初日からお友達になったのでした(笑)。
続く
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