東日本大震災から、15年。
今年、一つの節目の年なのかもしれません。
いろいろな震災時の真実や、津波等の被災についての伝承が続けられている事は、テレビのニュースやドキュメンタリー中で、確認する事が出来ました。
でも、一方では年月の経過から、過去の記憶として忘れ去られる運命になってきています。
既に、今の小学生以下は、東日本大震災以降に誕生した子ども達です。
その親達も事実の記憶にあるとは思いますが、感覚的にその深刻さを持ち続けている人達は、被災地以外では、どんどん少なくなっていると思います。
我が家のQuark達にしても、震災当時は、小学生でした。今や社会人の中堅になりつつあります。
年月の流れは、早いものです。
そして、元素にとっては、同時に父の没後15年でもあります。
大地震発生日の翌々日は、父親の納骨日でした。
震災当日は、退勤後に父親の遺骨を引き取りに車で実家に戻り、支度を整えて翌々日に母親を乗せて菩提寺に行く予定でした。
でも、都内でも電車は止まり、その日の帰宅を諦めてに会社に泊まり、翌日昼に帰宅して、直ぐに実家に車で向かいました。
母は、1人暮らし、実家の地震の影響も心配でした。
この時期、地図を見ながら一般道を進みましたが、道路は、至る所で破損•路肩の崩れや隆起し、橋の道路との接合部は、完全な段差になっている状況。
途中からは、信号も停電で点灯していない道路を、何とか実家に戻りました。
その日の夕方、福島第一原子力発電所での1号機の水素爆発が発生しました。
そして、子供の頃から教えられていた、原子力発電所は、絶対に安全だとの神話が完全に崩壊したのです。
このあと福島第一原発は、3号機、4号機と爆発が続きます。
その中で、本当に実家のある地区は、放射線被爆に対して安全なのか?との疑問を感じていました。
納骨後のこの時期に、母を1人実家に戻して良いものなのか?そんな気持ちでした。
過去に、核燃料処理工場での臨界事故が発生して、
地元の十字路から、25キロメートル圏内通行止めの場所に指定されたことがあります。
この時ですら、その25キロメートル圏内でも避難指示は、ありませんでした。外出は、控えるよう指示かありましたが、内部の往来も出来ました。
当然今回、実家は、避難指示区域ではありませんでしたが、その放射線の影響が無いとは、言えなかったのです。
後に、土壌汚染除去の区域は、想定をはるかに超えて、山脈を2つ越えた猪苗代•磐梯地区まで、行われていました。(当時の風の向きもあったと思いますが…土壌汚染への影響があったのでしょうか?)
そんな疑問の中、父親の四十九日と納骨を済ませ数日後に母を実家に送って行った事を今も思い出されます。
父は、同年1/25に亡くなりましたので、原発の事故は、知りません。ただ、母親に聞いた事によると、昔の勤め先では原発の部品も作っていたとの事でした。
ある意味では、事故を知らずに他界したことは、幸せだったのかもしれません。
そんな事を改めて考えながら、地震によって発生した津波で原発に何が起きていたのか、断片的な話では無く、事故の流れを知りたいと感じていたのです。
そのような折、ある記事でこの本の存在を知って購入ようとしたのでした。
今や書店は、本を読む人と数と共に、減っています。なかなか見つかりませんでしたが、やっと大型書店で探し出しました。
福島第一原発事故の「真実」です。

この本は、「ドキュメン編」と「検証編」に別れています。
沢山の人々が、津波と言う自然災害に起因した、原発事故の電源喪失の中で、原発を維持コントロールする為に、どの様に活動や行動したのか、そして水素爆発、放射線の放出の発生、その時の判断や実態、後日の原子炉の検証結果を踏まえNHKの取材の目から、記載された物です。
でも、これが全て真実なのか?別な見方もあるはずです。
あくまで、福島第一原発における現象を踏まえて現場で起きた事象と行動を、後から報道者の視線で確認して編集を行った原発事実の結果報告だと思います。
この本は、2021年に発刊された書籍を再編した物で、2024年に文庫本として発刊しています。
約10数年の月日を経て明らかになったもの、当時は、把握出来ていなかったことも含めて纏めています。でも、まだこれが結論ではないと思います。
まだ、ドキュメント編しなか、読み終えておりませんが、その当時の情報と設備能力、情報伝達の途絶の中で、関係者には激しい苦悩があった事実をも、少し理解出来ました。
未だ、核燃料は、4号機以外は、取り出されておりません。更にその原子炉の実態すら充分に把握されているとは、言い難いのです。まだまだ、廃炉には、長い月日ご係ると思います。
いろいろな教訓も与えてくれます。
機会があれば、読んてみては如何でしょうか?