昨日、diaryを書いてから、久しぶりな感覚を思い出しました。
まだホームページを始めたばっかりで楽しくて仕方なかった頃、自分が書いたことにひとびとがどんな反応を返してくれるのか、気になって仕方なかった時期に似た気持ちです。
いろいろ思うことはあるけれど、営業を兼ねて(僕はほっとんど営業メールとか営業電話やらないので)やっていたホームページでは限界があったんだと思います。
気に入ってもらわなければいけない、素の自分を見せてしまったらお客様に夢を見せることはできない。
それでも、なんとかひねくり出したHPには、良くも悪くも反応が返ってきた。けっこう激しいのね。
で、どう思われるかが気になるのか、なんだか知らないけどそういうひとって掲示板にはぜったい書かない。メール。ちょーーーーー長い文章で、あれはこう思ってるんでしょ、とかこれはこうなんでしょ、とかってすごい断定してくる。
本気で書きたい、書こうと思えば思うほど外野の反響は激しくなる。
生の声に対して生の答えだから、ソレを気にせず受け止めなくちゃいけないんだけど、いちいち気にしたりして、そんな余裕もなかったな。
分かったような振りしてなんも分かってないひとのメールとかすっごいイヤだった。
そしてそれにいちいちフォローしなくちゃいけないのも“なんで自分の言いたいこと言ってるのに弁解なんかしなきゃいけないんだろ”って思って哀しかった。
そうすると、だんだん自分と本心との距離感が広がっていくんだよね。“弁解しなきゃいけないくらいなら最初からテキトーに書きゃ良っか”みたいな。
書きたい気持ちはきっとこの先も変わらない。
ただ、場所はどこでも開けるということ。
ここで続けていくなら、僕はもう 今までどおりの
「僕」ではいられない。
真実だけを書き続けることが、正しいとは思わないけれど、本当に思ってることを伝えたい。
今は、そう思っています。
まだホームページを始めたばっかりで楽しくて仕方なかった頃、自分が書いたことにひとびとがどんな反応を返してくれるのか、気になって仕方なかった時期に似た気持ちです。
いろいろ思うことはあるけれど、営業を兼ねて(僕はほっとんど営業メールとか営業電話やらないので)やっていたホームページでは限界があったんだと思います。
気に入ってもらわなければいけない、素の自分を見せてしまったらお客様に夢を見せることはできない。
それでも、なんとかひねくり出したHPには、良くも悪くも反応が返ってきた。けっこう激しいのね。
で、どう思われるかが気になるのか、なんだか知らないけどそういうひとって掲示板にはぜったい書かない。メール。ちょーーーーー長い文章で、あれはこう思ってるんでしょ、とかこれはこうなんでしょ、とかってすごい断定してくる。
本気で書きたい、書こうと思えば思うほど外野の反響は激しくなる。
生の声に対して生の答えだから、ソレを気にせず受け止めなくちゃいけないんだけど、いちいち気にしたりして、そんな余裕もなかったな。
分かったような振りしてなんも分かってないひとのメールとかすっごいイヤだった。
そしてそれにいちいちフォローしなくちゃいけないのも“なんで自分の言いたいこと言ってるのに弁解なんかしなきゃいけないんだろ”って思って哀しかった。
そうすると、だんだん自分と本心との距離感が広がっていくんだよね。“弁解しなきゃいけないくらいなら最初からテキトーに書きゃ良っか”みたいな。
書きたい気持ちはきっとこの先も変わらない。
ただ、場所はどこでも開けるということ。
ここで続けていくなら、僕はもう 今までどおりの
「僕」ではいられない。
真実だけを書き続けることが、正しいとは思わないけれど、本当に思ってることを伝えたい。
今は、そう思っています。