旧新生村佐久間邸(『千葉県博覧図』二六七)

石川龍山墓碑 今では狭いところに押し込まれてしまっているため、碑文が読めなくなってしまっている



この度、旧市原郡新生村の大素封家佐久間家の文化史的意味について書きましたので、ご紹介させて下さい。今回は驚くべき発見がありました。 

 

 まず、当家は旧田原藩家老の弟を世話することで、地域の教育にも貢献していたらしいことがわかったことです。この人物は石川龍山といい、その兄鷹見星皐は同藩家老を務めていたと同時に、私塾も営み、そこからは何と佐藤一斎、渡辺華山ら錚々たる人物たちが出ています。この石川龍山については、いまでは、その墓石が市原市新生祐巌寺の共同墓地のなかに残っているばかりなのですが、これは注目すべきことだと思います。その墓碑の全訳も掲載しました。 


 次に、明治十九年三月、旧市原郡今富村の千葉禎太郎により、三島中洲が同郡に招かれた際、三島は当家にも寄っています。その際、三島が当家について漢文「養老山房記」を書いていたのを発見しました。これは相当な名文なのですが、そこから当時の当家の活躍ぶりが良く窺えます。その全訳も掲載しました。  


 以上の内容は、先頃、「三島中洲、藤森天山、小永井岳、巌谷一六、川田甕江らと千葉県旧市原郡の文人たちとの交流(五)―『南総応酬詩録』『陪遊録』を中心にして―」『江戸風雅』第二十九号に掲載されました。