漢詩人千葉昌胤の前半生につき、拙稿を『三島中洲研究』第8号(二松学舎大学日本漢学研究センター刊)にご掲載戴きました。
 千葉昌胤(慶応2年〜大正7年)は、現市原市八幡宿に、飯香岡八幡宮社家山下堅治の三男として生まれ、初名を山下亀吉といいました。明治14年、二松学舎に通いだし、その後明治20年、今富の千葉禎太郎の養子となり、千葉昌胤と改名し、明治24年以降、二松学舎と日本中学校で教員を務めながら、漢詩人として高く評価されると同時に教員としても活躍しましたが、明治27年、突如として、そのような生活にピリオドを打ち、朝鮮に渡ってしまいます。
 本稿は以上の前半生を詳述しました。