これまでの千葉県の漢文資料に関わる拙稿の誤植を一括してご報知したいと思います。


①「千葉県市原市における漢文石碑・資料の翻刻(一)」


55頁下段12行目 元携→元儁

59頁上段17行目 元携→元儁

63頁下段11行目 信明→伸明

63頁下段15行目 むこうがら→              

        むこうがわら

65頁下段14行目 かんこう→

         かわむこう

71頁上段17行目 勒→勤

71頁下段11行目 栗→繰り

73頁上段24行目 元携→元儁

75頁上段24行目 子→于

76頁上段17行目 かんこう→

         かわむこう

77頁上段16行目 冶→治


 このうち「むこうがら」「かんこう」は屋号です。確かにこのように呼ぶ人がいたので、こう表記しましたが、市原市町田の人達の大半は「むこうがわら」「かわむこう」と読むと、同町会長さんから指摘を戴きました。


②「千葉県市原市における漢文石碑・資料の翻刻(三)」


62頁上段8行目 携→儁 

63頁下段3行目 携→儁 

72頁下段24行目 携→儁

67頁上段4行目〜5行目

                     政田謙蔵→首

67頁上段5行目〜8行目

 が、これは請西軍、遊撃隊の多く(中略)可能性もある。→ため、その首だけは、大蓮寺に葬られたものと思われる。

67頁上段11行目 性→壮

67頁上段14行目 □□→旭房

67頁上段15行目 

     有一同列→首者同州


 67頁上段11〜15行目については、郷土史家の高澤恒子氏、佐野彪氏から指摘を戴きました。この墓碑は摩滅がひどく、大変読みづらい資料です。このため、私は複数箇所において、誤読をしてしまいました。また、このうち「首者」は、きちんとした漢文として想定した場合、通常、この字を想定することはできないのですが、和式漢文なら十分に有り得ます。私は不明にも、そこに気付き得ませんでした。


③「三島中洲、藤森天山、小永井岳、巌谷一六、川田甕江らと千葉県旧市原郡の文人たちとの交流(一)」


87頁上段4行目 

     川北梅北→川北梅山 

91頁下段8行目 字→通称


④「三島中洲、藤森天山、小永井岳、巌谷一六、川田甕江らと千葉県旧市原郡の文人たちとの交流(二)」


170頁上段14行目 燈→燭

172頁下段21行目 燈→燭


 以上です。発表当時は最善を期したつもりでしたが、こうして並記して見ると、改めて、汗顔の至りです。謹んでご報告申し上げます。