こんにちは

 



紫陽花の季節ですね。

 

 

 

 

 

グラデーションの色味が好き。

 

 

 

紫陽花は、環境によって色や形が変化するので「移り気」を象徴、また雨の季節に咲くので、水への「感謝」が花言葉に込められている。

 

小さな真ん中の粒が花。

 

 

赤やピンクの花々はわかりやすい。

 

花は自分では動けないから、

虫が来るのを待っていて美しい姿に進化した。

 

 

紫陽花の花が花でないことは結構知られていると思うけれど、私は世間的に知らなくてもよい情報の一つかなと思っている。

 

世の中にはそういうことが多々ある。

 

「紫陽花の花が綺麗ですね」と言われた時、

「あれは花ではなくガクです。

本当の花は真ん中の小さい粒です」

とは返さない方が良い。

 

 

その場の共感が大切だから。

 

 

感性や感受性、情緒を共有するのが日本文化。

和歌の世界観に正論は不用。

 



和の心は女性性の心。

 



移り気でね。

 

 

 

 

チャイナタウン、

初夏の街並みは朝が気持ち良い。

 

 

 

でも、例えば友人から突然不倫話をされた時、


その情緒不安定なところに共感しないといけないかな?



私は出来ないかな。


 


 


 

私はそれで自分の健康を守っている。

 

 

思うことの健康、

話すことの健康、

知ることの健康、

行動することの健康、

エネルギー循環、気の健康。

 

 

人って皆どこかで不安やストレスを感じていて、

それに対する対処としてダメなことをやっていても、

それを誰かに肯定してもらえたら自己肯定感が下がらずに済む。

 

 

共感が上手な、

そういう人をいつも探している。

 

 

それは商売としてやるなら良い。

 

人に嘘を付いて貰うことは、

本当は高く付く。


水商売、賄賂、ブランドショップ、

インフルエンサー、弁護士、政治家、芸能人、

などなどね。

 

 

 

近しい相手で本当に信頼して味方になってくれるような相手とは,喧嘩もするものだし。

 

 

 

 

 

 

 

京都鞍馬山。

 

京都貴船神社。

 

 

日本語の、汚れ、穢れ(ケガレ)という言葉は、

「氣枯れ」から来ている。

 

汚いという意味ではなく、

気が枯れてますよという意味。

 

ヨガをしてきている身ですから、

大体のことにゴタゴタ言わずに考えずに、

「あ、そう」とか「はいはい」と受け入れて、

自分の気が枯れないようにしている。

 

 

 

氣枯れは病に直結するものだから。

 

 

 

 

temu いろいろな意味でヤバいですね。

翡翠のピアス、顔が浮腫んでいる時に重宝。

 

 

 

最近人生って公平だなって思います。

 

ほんの少し前まで、

人は平等、人生は公平なんていうのは絶対に嘘だと思っていました。

 

裕福な家に生まれるとか、

すごく愛情深く育てられるとか、

生まれついて容姿端麗だとか、

それこそ生まれる場所とか環境とか。

 

不公平だなって思ってずっと生きてきたのは、

私のシニカルな部分で逞しさも培ってくれた。

 

 

いろいろ見てきた結果、

結局人生は公平なのだ、

そう思って生きていくことにした。

 

 

借方と貸方はいつもピッタリ合う。

 

 

貴船川。

 

 

最近聞いた話で一番面白かったのが、

ある人がずっと川の流れを見ていて、

木の棒などが石などに引っかかると、

またそこに枯葉や小枝が引っかかって流れが淀む場所が出来る、

そうすると、その流れに入ったものは本来の流れと逆の周り方をして、

もっと周りのものを引き込んでいく、

そして少しずつ沈んで腐っていく、という、

ああ確かにと納得の話。

 

 

 

 

 

自然の中には正論しか存在しない。

 

 

そして同時にそれを超えたもっと大きな何かも存在すると思う。

 


その正論を超えたところの話はたくさん聞きたい。

 

 

元気な人には元気の哲学がある。

 

 

 

自分のエネルギーを充実させて、

流れを良くすること、

同時に氣枯れを祓うこと、

ヨガ哲学のヤマ/ニヤマだと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

女性のための教科書は次は哲学の章です。

 

ヨガは哲学があるからヨガなのです。

 

 


 

 

ではでは。